梅色夜話



◎『風流比翼鳥』 巻二(「嫉は同神前の絵馬」)
 *備考*  男色派の「衆道には嫉妬や妬みがない」という意見に対する、女色派の反論。


 伏見の御香宮(ごこうのみや)は、絵馬を掛け、湯を捧げ祈れば、願いがかなうと言われている。それゆえ神前に掛けられた絵馬の数は多く、つなぎ馬・引き馬・帆掛け舟、あるいは役者の姿絵・花鳥・草木、なかには美女や若衆の戯れ遊ぶ様子を描いたものなど、さまざまな絵馬があるという。

 寛文年中のあるとき、都五条辺りの商人(あきんど)が、奈良へ商売に行き通っていた。
 頃は九月の末、商人が奈良を出て京に帰ろうとしたところ、まもなく日が暮れてしまった。小倉つづみを越えて、伏見の里に着くと、はやくも人影はまれになり、狐火が山際にかがやき、狼の声が草むらに聞こえる。
 商人はなんとなく気味悪く思い、御香宮に立ち入り、夜を明かそうと拝殿に伏した。ひじを枕に、かすかなともし火の光を頼りにして、しばらくうとうとしていると、誰かが枕元に寄って来て、商人を起こした。商人が起き上がって見ると、烏帽子をつけた男がいて、こう言った。
 「ただいまから、やんごとなき御方がここに来てお遊びなさる。少し傍らへ立ち退いて休みたまえ」
 商人が不思議に思いながらも片隅に寄ると、十五・六歳くらいの少年が、十二・三歳ほどの稚児を召し連れ、拝殿に登り、ムシロの上に錦の褥(しとね)を敷き、ともし火をかかげた。
 少年は酒肴を取り出し、かの十二・三歳の稚児を侍らせ、商人が隅でうずくまっているのを見ると、笑って言った。
 「いかに、そこにおわするは旅のお方であられるか。道に行き暮れ、かような所に夜を明かすはわびしきものと聞く。遠慮はいらぬ。ここへ来て酒をお飲みなされ」
 仰せを聞いた商人は嬉しく、恐れながら罷り出てかしこまった。
 上座の少人は、
 「もっと近くへ寄って、おくつろぎなさい」
と、褥の上へ呼んだ。
 向かい合うと、その装いは、誠に唐土の董賢(とうけん)にも優れ、弥子假(びしか)が桃を食いかけて霊公へ奉った男色も、わが朝の在五中将が初冠した昔、光源氏の幼い顔も、かくやとあやしまれるほどである。
 「いかなる御方で、ここにいらっしゃるのか。私はどういう縁でこの座に連なっているのか。夢だろうか、夢ではないのだろうか……」
 商人は魂浮かれて、さらさら現実とは思われない。
 下座の美少年(=十二・三歳の稚児)も、その顔かたちは美しく、微笑んだ歯は雪にもたとえられるほどであり、腰は糸を束ねたかのようであった。手足の指まで瑠璃とも言うべき有様、物言う声は潔く、言葉はさすがに行き届いている。

 上座の少人が盃を取って商人に差すと、知らず知らずに三献(こん)も受けて飲んでいた。下座の稚児が扇を取って立ち上がり、「峯の雲花やあらぬ初桜」と声を上げて舞えば、上座の少人は小鼓を取り出し、「やあはあ」としおらしい声を掛ける。商人も興をもよおし、呑んだ盃の数も重なって、古めかしくも文弥節(ぶんやぶし=古浄瑠璃の一)を語りだした。

 こうして商人は大いに酔っ払い、ふと懐を探ってみると、白銀の手箱があった。商人はこれを上座の美童にさし上げると、また懐から美しいふくさを一つ取り出し、今度は下座の稚児に与え、その手を取って握り締めると、稚児はにっこと笑って握り返した。
 上座の少人はこれを見て、妬みの色をあらわにした。

 あやにくにさのみなふきそまつの風我がしめゆひし菊のまがきを

と詠みながら、持っていた盃を投げつけると、下座の稚児の顔に当たった。傷つき、血が流れ、袂もえりも紅に染まった。商人が驚き、立ち上がるやいなや、夢は覚めた。

 商人は不思議に思い、夜が明けてから掛け並べられた神前の絵馬を見てみると、錦の褥の上に、美しい若衆が小鼓を打ち、そばには美少年が立って舞を舞っている有様は、夢の中で見た顔に少しも違わない。そのうえ、傍らには直衣・烏帽子を着た男が座っている。さらに、舞っている少年の顔には大きな傷跡が残っていた。
 疑いもなく、この絵に描かれた二人の美少年に戯れ遊んだのだと思い、御香宮を後にしたという。


 このように、絵に描いた美童でさえ、嫉妬や妬みがあるものだから、まして人ならば、男色女色に限るものだろうか。ここを聞き分けなされませ。



 この話でそう持ってくかーーッ!! っとツッコミたくもなりますが、話自体はけっこう面白かったと思います。ちょっと怪談チックでしたね。

 思いがけず「やんごとなき」十五・六歳くらいの美少年と、その従者で十二・三歳くらいの稚児の「お遊び」の仲間に入れてもらった商人さん。言われるままに褥の上へあがり、どんどん酒をのんでしまいました。
 二人の美少年の謡や舞、そしてお酒に気を良くした商人さんは、懐に入っていた白銀の手箱と美しいふくさをそれぞれプレゼントします。
 それまでは良かった。たぶん良かった。しかしその後が決定的に良くなかった。商人さんは何を思ったか、下座の稚児の手を握ってしまいました。稚児はにっこり微笑んで、握り返してくれましたが、上座の少年は、歌を詠みながら稚児に盃を投げつけるという高度な技を見せてくれました。
 歌を直訳してみると、「ああ憎らしい。そんなふうにむやみに吹かないで、松の風よ。私が締め結った(=組み立てた)菊のまがきなのに」といったトコロでしょうか(「を」はおそらく詠嘆の余情を表す)。
 意味を考えてみると、稚児に対して「あんた私の誘った男を誘惑してんじゃないわよ!」という怒り、もしくは、商人が稚児にもプレゼントを渡して手を握ったことに対する怒りが込められている歌ではないかと思われますが、別の見方をしてみると、上座の少年のお気に入りである稚児が、他の男に愛想よくしたので怒った、と取れなくもないかと……。
 推測はともかく、盃の当たった稚児の顔は傷つき、血があふれ出して、着物は紅に染まる……。わー怖いッ!!

 朝、夢から覚めた商人さんが絵馬の一つを見てみると、小鼓を持つ若衆と舞う稚児の絵の描かれた絵馬がある。稚児の顔には傷跡、夢の美少年たちは、この絵の子らであったのか、というオチでした。

 男色女色の別なく、人間ならば嫉妬は誰にでもあるもの、という論旨でしたが、この子の嫉妬は少々激しすぎるように思われます;


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