梅色夜話



◎『風流比翼鳥』 巻二(「情は同古今の誉」)
  *備考*  テーマは「男色における実(じつ)」です。


 天和の頃、浅草のかたわらに、松本屋清左衛門という有名な紙問屋がいた。その一人息子の吉三郎は、本当にすばらしい美少年で、心は優しく、情も人より厚く、あらゆる事を憎からずこなす子であった。
 二親の若盛りの頃まで髣髴とさせるほどの美形は、世界の恋のかたまりだと、噂を聞いた人々は寄り集まって取り沙汰し、老いたるは日ごろ願いし後生を忘れ、若きは月花によそえて深い思いを嘆くのも、それぞれの心遣いだと思えば健気に思われる。およそこの子に心を懸けるものは、幾千万の数も知れず、日毎に店へ文を投げ入れ、あるいは人づてに心体を託つので、二親もこれには取り扱いに困っていた。

 ここに高島平内という男、もとは身の上もそれほど悪くはない者であったが、盛者必衰の理のごとく、身上散々に落ちぶれ、今は召使いの家来もない。されども極めての女嫌いにして、猫も女ねこならば内には入れず、さし樽の枕をたたいて、一杯の酒に一生を楽しみ、食い物があれば明日の蓄えもかまわぬといった暮らしぶりであった。
 しかし人の運命とは知れないもので、平内の弟・平助が身上に有り付き(武家に就職した)、時々の仕送りによって生活を立て直すと、だんだんと運に恵まれ、家来も大勢使うようになった。そうするうち、例の煩悩が再発し、いつの頃からか吉三郎を見初め、静心なく人に仲立ちを頼んで文を度々送ったけれども、
 『私ごときにご執心とは、もしや人違いではありませんか。ともかくもご心底がしかと見えませんので……』

 それでもつらくはない返事に、平内は毎日のように願掛けをした。これには氏神も迷惑なさっただろう。
 吉三郎も、
 「浮き草の根のような有りがたいお返事。優曇華(うどんげ:きわめて稀な事のたとえ)」
と喜び、それからふたりは未来をかけて堅く契りを結び、おろそかならぬ仲となった。死しては九品蓮華の床の上に互い違いの手枕を、と浅からぬ挨拶(誓い)を交わし、意気地を互いに磨いた。


 しかし、誠に七転び八起きとは浮世の習いで、平内は悪病を受け、今は明日をも知れぬ身となってしまった。
 このはかなさを吉三郎は深く嘆き、神を祈り仏を念じ、薬を用い、さまざまにいたわったけれども、一体何の罪があってだろうか、すこしも回復の兆しがない。しだいに病は重り、足はなえて動く事もかなわず、床に起き伏しするのみであった。

 吉三郎が色に愛で欲深い若衆ならば、見限って寄り付きもしないだろう。しかし吉三郎は言い交わした言葉を忘れず、親元を去って平内のもとへ来て看病するのだった。我が身のことは露もかまわず、昼夜念友の病をいたわるのは、慈母が幼い子を養うようであった。

 生活が整ってきてからというもの、人も数多抱え、家も二・三箇所に求め、金銀に事欠かぬ浪人の平内であったが、この病を受けてからは親類も見放し、「見る事さえむさくるしい」と言えば、日ごろの友人も寄り付かず、親しい縁者も訪れない。まして関係の疎い者は見向きもせず、召使の者も病を嫌って逃げてしまった。
 そんな中、吉三郎は断ることなどできるはずもなく、ひとり平内を養い守っていた。この悪病のため、蓄えた金銀も底をつき、求めおいたる宝はこのときのためだと、一腰・小袖・諸道具まで売り払って看病した。


 吉三郎の父親・清左衛門はこのあらましを聞くや否や、
 「私の大切にしてきた一人息子を、わけの分からない浪人者と念頃させるのさえ気がかりなのに、その上悪い病人になっただと! このままにはしておけんな。一家の面汚しめ」
 大いに怒った清左衛門は吉三郎を呼び寄せ、その用を告げると、吉三郎は涙を流して言った。
 「情けない仰せでございます。親たちに隠し、こうした不義をしたことは不孝の第一です。しかし一度言い交わした兄分ですから、今更悪しき病を受けたからと言って、私が彼を見捨てたならば、誰が彼を養うのですか。きっと一日もしないうちに死んでしまうでしょう。
 いくら町人とはいえ、言った言葉もありますから、御勘当をこうむるとも是非はありません。私には彼を見限ることはできません」
 吉三郎のきっとした言葉に、清左衛門はあきれてしまった。
 「いやはや、言語道断の憎い言い分。親と他人を思い変え、天命を免れると思うのか」
 あるいは怒り、または嘆き、言葉を尽くして語る姿に、吉三郎も涙ぐみ、うつむいたままであったが、しかし念者を思い切る様子はなかった。清左衛門はもはや腹に据えかねて、
 「とかくお前を秘蔵に思うゆえ、立たぬはずの腹も立つ。もう二度とこの家に出入りすることは許さん」
 吉三郎を家から追い出し、それから親子の仲は不通になってしまった。


 それから一年ばかりの患いのうちに、今は売り払うべき諸道具もなく、飢えに苦しむことを悲しみ、吉三郎はしたこともない惨めな勤めをして、一日の労を銭(あし)に換えて夕べに帰り、念友のため食となし、食べさせていた。
 近所の人々は吉三郎の行いに感じ、時折うまいものを送ると、まず念者に食べさせた。世の中に人鬼(ひとおに)はないという。人々はいっそう彼らを憐れみ、米や銭を送った。やさしき人の心である。

 まことに昔は月を欺き、花が物言うかと疑われた姿も、今は念友のために髪も結わず、もちろん歯を磨くこともなく、手足の爪も切らず、しかしなお残る形が美しいからなのだろうか、あるいはその心中に迷ったのだろうか、近所の若い男から若衆嫌いの親仁までも、吉三郎に文を通わせ、とやかくと言い寄った。
 だが吉三郎は少しもその誘いを受けることはなく、その中でも命を掛けて口説く者には、
 「ご心底はうれしいですが、ご存知のように私には定まった念者がおります。殊に病人でございますから、私が見捨てれば今にも命は終わり、私を恨むことになっては悲しい。どうかお聞き分けください」
と、色々に詫びると、むくつけ男も聞き分けて、それ以後はあたりへ近づく者もいなくなってしまった。

 あるとき平内は吉三郎に向かって言った。
 「俺はこんなむさくるしい病に侵され、皆に嫌われてしまったが、おまえはまだ盛りの花だ。出世ある身を俺のために無駄にして、憂目を見させるのも口惜しい。おまえの父母にとっても恥辱になるから、早く親のもとへ帰って、孝行を尽くしなさい。おまえの行末めでたい様子を聞けば、俺もどんなに嬉しいか。そしてまた、この身が果てたときは、今までのよしみで後世を説いてくれ」
 しおしおと話す平内に向かい、吉三郎はにっこと笑った。
 「つれないお言葉を。千代と約束した兄分が悪しき病を受けたからといって、それを見捨てて親の許に帰ることができるでしょうか。世にある(栄えている)時は兄弟で、衰えた時からは兄弟ではないというのですか。
 私をそのような無心中な若衆とお思いになっているのですか。それならば私は若道の一分が立ちません。
 あなたがつつがなくて(健康で)、私が病を受けたとしたら、あなたは私を捨てるのですか。返す返すつれないお心。どうしても帰そうとお思いになるのなら、今ここで自害して死にます。それがお嫌なら、私に任せて養生してください」
 平内は涙をおさえ、
 「この上はしかたがない。ともかくも、心次第にしなさい」
 吉三郎は喜び、いよいよ労りを怠ることはなかった。

 これに仏神も憐れみなさったのだろう、平内の病は次第に回復に向かい、その折から平内は、古主から以前の領地・七百石にて召し帰された。これこそ悲しみのうちの喜び、ふたりはこれよりますます知契(ちけい)の誓をむつまじくし、千代に八千代に細石の、巌となって苔の生すまで契ったという。
 誠にめでたい楽しみである。これこそ若衆に実(じつ)のある証拠である。




 じゅ、純愛!!
 「世界の恋のかたまり(原文のママ)」と言われる美少年・吉三郎くんと、実はお金持ちの由緒あるお侍だった浪人の平内さんが、いつのまにか深い深い契りを結びました。
 手紙のやりとりは原文を読んでもやや不明瞭なのですが(↑はまんま直訳です)、吉三郎くんの「ご心底覚束無し」の返事に、平内さんがうまいこと答えたのでしょう。両親が扱いに困るほど恋文をもらう吉三郎くんが、「珍しく頼もしいお返事(たぶんそういうイミだと思う……)」と言うくらいだから、相当説得力のある言葉だったのでしょう。神も迷惑した激しい願掛けの成果でしょうか……。

 しかし、幸せは長くは続かない。平内さんは重い病にかかってしまいました。何をしても効き目はなく、寝たきりになってしまった平内さんは、召使はおろか、親類・友人からも見放されてしまいます。
 それでもたったひとり、昼も夜も自分のことはかまわず慈母のように看病してくれる吉三郎くん。ええ子や〜。

 しかし、付きっ切りで看病するため、家を離れた吉三郎くんのご両親はかなりお怒りのようです。まあ当たり前ですよね。互いに意見をぶつけ合ったあげく絶縁という結果になってしまいます。

 父親の怒り・勘当、極貧の生活、なれない仕事、身なりに気を遣うことも出来ず、それでも言い寄る男共をかわし……。数々の苦難に耐え、献身的に念者を看病する吉三郎くんに、近所の人も心を動かされ、お米やお銭を恵んでくれるようになりました。言い寄っていたむくつけ男も、吉三郎くんの毅然とした言葉を聞き分け、大事には至りませんでした。よかったよかった。


 しかし平内さんは、これほどに自分を犠牲にしている吉三郎くんを心配に思うようになりました。まだ将来もある、こんな俺に付き合って一生を棒に振らせるわけにはいかない、というワケですな。
 なんとか吉三郎くんを家に帰そうとする平内さんですが、吉三郎くんの決意は堅いものでした。にっこり笑って、ちょっと意地悪っぽい言い回しで自らの心のうちを説くと、平内さんも観念して、ますます手厚い看病を受けることになった、ということです。

 こんなふたりに仏さま神さまからのご褒美!
 なんと平内さんの病は回復に向かい、以前の主から再就職のお召しが!! それからふたりはいっそう契りを深くし、末永く幸せに暮らしましたv (も〜言っちゃうけど「君が代」はラブソングなんですよ!)

 これ以上ないッてくらいのハッピーエンド!! 病気&純愛でこのラストって、ヘタな映画より感動したぞ。
 心残りなのは吉三郎くんのお父さんとの関係ですが、アレも愛ゆえの勘当ですよね(ツンデレだと信じよう)。
 若衆に「実」があるかどうかは、この話だけじゃ当然判断できないワケなんですが、この吉三郎くんの「実」はホンモノですよ! 「実」の報われる世界というのはやっぱりいいですね。


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