梅色夜話
◎男郎花(なんろうか) (巻の五)
洲河藤蔵(朝倉家足軽大将)×小石弥二郎(小姓)
越前の国、朝倉家の小姓、弥二郎は、容姿は非常にすぐれて美しく、知恵賢く、物静かで思いやりの深い、愛らしい者だったので、家中の人々はみな愛しい人に思っていた。
朝倉家の足軽大将藤蔵は、武道に優れた男であった。彼は弥二郎を思い初めていたが、思いを伝えることは出来ないと思って、
身にあまり置き所なき心地してやるかたしらぬ我が思ひかな
そう思い続けて心を静めても、ただもう上の空で、どうしようもないのが、顔に表れてしまっていた。
そこで、弥二郎と縁のある人に頼んで、文を届けた。
「芦垣のまぢかき中に君ハあれど忍ぶ心や隔てなるらん。
この思いを耐え続けるのならば、もう死ぬだけです」
こう書いて送ると、弥二郎は、これを読んで、限りなく心に染み、愛しく思われたので、返事の文の最後に、
「人のため人目を忍ぶもくるしきや身独りならぬ身をいかがせん」
と書いて送ってやると、藤蔵はますます心惑い、思い乱れた。今ではすっかり秘めた思いも表に出て、
「いかにせん恋ハはてなきみちのくの忍ぶばかりにあハでやミなば
もらさじと包む袂の移り香をしばし我が身に残すともがな」
と、神に誓い、命をかけて、書き遣わすと、弥二郎にも深い恋心が芽生えた。
そしてその夜、ふたりは忍び逢った。千年を一夜に語り明かし、名残の惜しい後朝を迎えた。藤蔵が
ほどもなく身にあまりぬる心地して置き所なき今朝の別れ路
と詠むと、弥二郎も返して、
別れゆく心の底をくらべばや帰る袂ととまる枕と
また、いつ逢おうという約束もしない。とりわけ、今の世の乱れた有様を思えば、今日生きていたとしても、明日は知れない。今朝の別れが最後かもしれない。
その面影は愛おしいのに、この世への恨みはつきず、互いに泣きしおれるばかりだった。
次の日、戦が起こって朝倉義景は人手を駆り立てて臼井峠に馳せ向かった。武田方と競り合い戦ううちに、藤蔵はついに討たれてしまった。
弥二郎はこれを聞いてひどく悲しんだ。「もう命を永らえてもしょうがない」と、軍法を破って大将のいる本陣から、ただ一騎駆け出して、討ち死にしてしまった。
ふたりの屍は味方に取り返した。日頃親しくしていたことは、家中に知れ渡っていたので、人々は可哀想に思って、ふたりをひとつの塚に埋めた。(忍びきれてなかったのね;)
日が経って、その塚から名も知らぬ草が生え出た。その茎が成長して、夏になると花が咲いた。
これこそ、男郎花といって世にはまれな草花である。
きっと弥二郎と藤蔵の亡魂の証に生えたものだろう、といって、情けを知る人が、根を分けて各々の庭に植えたので、その草の種は世に多くなったという。
どうしてこの二人が気軽に愛し合えないかといえば、それは弥二郎くんが朝倉さまの御小姓であるからです。
小姓にとっては、殿以外の人となんて、不倫よりイケナイことです。しかし、藤蔵の死に悲しみのあまり一番大事の殿のもとを飛び出していく姿からは、弥二郎の「情け」の深さが伝わってきます。
「情け」って、すごくわかりにくい概念ですね。人情とも恋心ともちがう何かがあるような気がします。
そして「男郎花」。おそらくオトコエシのことでしょう。
図鑑では、オトコエシの名の由来には、「オミナエシより大きいから」くらいしか書かれていないけど、こんな萌えな由来があったとは(笑)。
オトコエシを見る目が断然変わりますね。庭に植えたいよ。
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