梅色夜話



◎毛虫崇りをなす(けむしたたりをなす) (巻の五)
 有快(元興寺僧)×柳岡孫四郎(12)


 元和(1615〜24)のころ、西国の侍、柳岡甚五郎某という武道に優れ、名声を得ている者がいた。しかし軍(いくさ)で負傷したために、浪人して、今は山城の国に住んでいた。
 その子どもは、孫四郎といって、年はまだ12歳だけれども、性格はやさしく、同じ年頃の子ども達とは一緒に遊ぶことも無く、穏やかに育ち、手習いや読書に打ち込んで、どれも劣っているということはなかった。まわりの人々はみんなこの子をほめ、感心して噂したのだった。
 しかも顔貌は美麗であって、ふつうの人よりもはるかに優れていたので、「将来は出世して家も再興させるだろう」と、親もよろこばしく思っていた。

 そのころ、有快法師は、都へ上るついでに知人のところへ寄ろうと、山城の里まで来ていた。
 その時に孫四郎の姿を見初めてからというもの、心はひたすらその子が忘れられなくなり、京へもいかず、しばらくこの里にとどまることにした。

 それから人づてに、孫四郎へ思いをしたためた漢詩と和歌を送った。

 江南柳窕緑(こうなんのやなぎ、たおやかにしてみどりなり)
 尚愛枝葉陰(なおあわれむ、しようのかげ)
 頻莅黄"麗鳥"翼(しきりにのぞむ、こうりのつばさ)(注:黄りはウグイスのこと。"麗鳥"でひとつの漢字です)
 暫堪待春深(しばらくはたえて、はるのふかきをまつ)
 
 葉をわかみまだふしなれぬくれ竹のこのよをまつは程ぞ久しき

   この文を見た孫四郎は、幼い心にも「いとしい」と思ったのだろうか、その文を深く袂に隠し、返事をするその仕方も知らないながらに、朝夕、思い沈み、気持ちを歌にして詠んでいた。

 おなし世に生きて侍りとは聞きながら心づくしのほどぞはるけき

 有快法師は、この歌を伝え聞いてからというもの、心落ち着かず、そわそわとして、修行や学問のことはどうでもよくなり、人目も気にせず、孫四郎の屋敷の傍をうろうろと忍び歩きまわっていた。(だんだん法師がオカシクなってきたよ〜;)

 孫四郎の親は、これを聞きつけて、情けも知らず腹を立て、
 「なんと憎い法師か!!孫四郎はまだ幼いというのに、みだりにそそのかして、いろいろとするなど、腹立たしい!
 わが子は決して門より外には出すな!!
 穏やかに育てば、どんな大名高家にも仕えさせて、出世してこの衰えた家を再興させようと思っていたが、寺にこもって、稚児・喝食となり、後には乞食法師、腰抜け若党になるならば、生きていてもしょうがない。
 出世が叶わないなら死んだほうがましだ。その法師は、付近にも近寄らせるな!!」
と躍り上がって怒鳴った。


 孫四郎の悲しみは相当なものであった。
 親に背かないようにすれば、情知らずになってしまう……(またまた「情け」登場。好きな人にあえないのがいやだとか、そういうのじゃないのね)。

 「いかにせんあまのを舟のいかり縄うき人のためつながるる身を」

 そう独り言をいって暮らしている、と聞くと、有快法師は思いに堪えかね、
 「口惜しい世だ。生きながらえて辛いことばかり身に受け、焦がれながら日をおくるより、死んで恨みを晴らしたいものだ」
 と、一筋に決心して部屋に引きこもって断食をはじめた。

 そこへ同学の僧が訪ねてきた。
 戸を叩いてもしばらくは音もしない。ややあって乱暴に障子を開けたその姿は、痩せ疲れて、目は落ち窪み、髪はこの間に白く変わり、筋太く、骨現れて、すさまじい有様であった。(つづく)


 
 有快法師が豹変していく様がおそろしい〜!!
 さて、今回の受さま、孫四郎くん。12歳!
 なにやら親の勝手な野心で引き裂かれているように思えるけど、甚五郎氏のいうことは、もっともだと思うよ。いちおう「若衆」の年齢範囲に入っているけど、やっぱりイカンでしょう。
 有快法師の年齢は不明ですが、結構イイ年っぽいし(私的には30代くらいがいい)、小6の男の子が、分けの分からんおっさんのことが好きとか言い出したら、誰だって憤りますよ。しかも相手はストーカーになってるし;

 それに比べて、孫四郎くんは、かわいいなぁv
 これはきっとホントの恋心じゃなく、初めてのラブレターに気が迷っているだけだろうけど、一生懸命応えようとしている。これが「情け知り」ということか。
 それにしても、孫四郎くんをそそのかした有快法師の漢詩と和歌は、孫四郎くんのロリ〜な優美さ(なんだそりゃ)を暗喩しているようで、イヤラシイぞ。
 


(つづき)
 同学の僧は、有快法師に近づいて言った。
 「なんと見苦しくも、執心が深いことと見える。そうでなくとも、生死の迷いは晴れがたいために、世々の聖賢でさえも恐れなさり、身命を省みずに修行して得道なさったのだ。
 そのほか、多くの修行者たちも、住処を離れ、山にこもって、或いは諸国を行脚して、煩悩を沈め、功徳を積み、悟りを得ようとしている。
 それなのにあなたは浮世の恋慕に思い沈み、魔道に落ちて、永い迷いから抜け出せなくなっているなんて、人界に生まれた甲斐もない。
 ただこの一念をひるがえし、狂気を止めてよく考えなさい。このままでは剣の山は近いですぞ!」
 同学の僧がいさめると、有快法師は涙を流したが、
 「誠に有難いお言葉ではあるが、この業因はまったく解けることはなく、千度百度、心を返したが、返すことができないのは、仕方が無いことなのです。
 もはや命は永くないでしょう。受けねばならぬ輪廻の妄執は、きっと過去からの因果なのだ。柳岡甚五郎は生まれながらの怨家なのだろう。
 たとえ死んで剣の山にのぼるとも、もはや是まで。日頃、同学の情けによって、今出て、この世の暇乞いをするのです。心ざしがあれば、跡を弔ってください。
 さあさあ、お帰りなさい」
と、障子を引き立て、またもとのようにこもってしまった。
 同学の僧も仕方なく、涙と共に帰っていった。(抹香臭くてごめんなさい;坊さんの会話は疲れるわ)

 そして7日後。有快法師は本尊の前で、打ち倒れて死んでいた。
 僧たちは集まって、野辺の送りをし、経を読み、念仏して弔ってやった。

 その夜……。孫四郎は、夢ともうつつとも知らず、有快法師が閨(寝室)に入ってきたように思った。
 それからというもの、孫四郎は病にかかり、時々は高熱に侵されるので、親は医師を頼んでいろいろと治療をしたが、まったく効果がない。
 だんだんと身体は弱まり、ついに、いま息を引き取る、というとき、天井から
 「孫四郎どの、いざ…いざ…」
という声が聞こえてきた。まさしくそれは、有快法師の声であった……。


 我が子を失った父母の嘆きは例えようも無く、泣く泣く葬礼して、弔った。
 それから35日が過ぎた五月の初旬、家の中、天井長押、戸にも柱にも、毛虫がわき出るようになった。
 五月雨の降り続くために(旧暦なので新暦では梅雨の時期)、朽ちた木竹から、わき出たのかとも思ったが、そうではなく、甚五郎の家に限られていて、他所の家には一匹も出ない。
 拾い寄せ、掃き集めて、堀に捨て、河に流すこと、数石に及んだが、後から後からわき出てきて、尽きることがない。

 後には、この毛虫にさわった人は、これに刺されてひりひりと痛むようになり、また日が経つと、毛虫は脱皮して蝶になり、群がり飛んで、人の顔に止まり、衣装に取り付き、夜はともし火にたかってその火を消し、或いは食べ物の中に転び入るので、いかにもただ事ではない。
 人々は、有快法師の亡魂のなす業であろうと思い、元興寺に申し遣わし、同学の僧に頼んだ。この僧も痛わしく思って、祭文をつくり、仏事を営み、加持をして念入りに弔った。

 そうして二三日の間に、毛虫はことごとく絶えて、跡形もなくなった。有快法師の亡魂が現れたことは疑い無いだろう。



 ああ怖かった〜; 有快法師は初めっから、孫四郎くんを取り殺して自分のものにするために、引きこもっていたのでしょうか。しかも親には毛虫を超大量に発生させるという嫌がらせ。
 死人にはストーカー法は通用しない; つーかアンタ、孫四郎くんの寝室に入ってナニしたんだ〜!!(児ポ法も通用せずか!)
 なんて可哀想な孫四郎くん、おさない情け心を踏みにじられて(涙)。

 しかし、特筆すべきはこの毛虫→蝶。虫にされたらイヤなこと全部やってるよぅ;
 嫌がらせとしては大変ナイスですが、ホントにキモい。夢に出そうだ;

 ちなみに「剣の山」というのは、地獄にある、剣を植えてある山のことです。これも想像したくないですね。痛そ〜。

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