梅色夜話



◎謡曲『鞍馬天狗』

 鞍馬の奥、僧正が谷に住む山伏が、この鞍馬山で寺の人々が花見をするということを聞きつけて、よそ者ながら、ひっそりと花見を楽しもうと現れた。

 そこへ、大勢の稚児を引き連れた僧たち、そして能力(寺で力仕事をする者)がやってきた。能力は山伏を見付けると、
 「無法者です。追い立てることにしましょう」
と僧に報告した(プライベートビーチみたいなものなんでしょう)。僧は
 「しばらく。なんといっても、このお席というのは、源平両家の若君たち(上記の稚児のこと)がおいでになるのですから、そのような部外者は適当ではありません。
 しかし、こういうと、人によって区別するようなことになりますから、ここの花は明日ご覧になるのがいいでしょう。まずはこの場を離れて、奥の花を見に行きましょう。」
 そういって、僧や能力、稚児たちはみな、奥へ行ってしまった。そんななか、一人残った稚児がいる。
 牛若である。

 「花を見るにあたっては、貴賎や親疎の区別をしない、というのが春の決まりごとだと聞いていたのだが……。鞍馬寺の本尊は、大慈悲の多聞天であるのに、なんと慈悲心のない人々であろうか……。」
 そう、山伏がつぶやくと、牛若が声をかけた。
 「本当に、花の下で半日、月を前に一夜をともに過ごすだけでも、互いに親しみが生まれるものなのに……。ああ、気の毒なこと、こちらへ寄って花をご覧下さい。」
 「思いもよらないお言葉です。声さえ立てない私にお声をかけてくださるとは。人々の間に立ち交じることもしませんので、この山に私が住んでいることを知っている人はいませんのに。」

 『こうしてあなたとお付き合いをするのは、人々の物笑いの種を蒔くようなものだろうか。しかし……
 この恋心をもつ老人を嫌わないでください、垣穂の梅のような美しい君よ。それでこそ情けある花なのだ。
 花には春になれば咲くという定めがある。だが、人は一夜睦み合ったところで、あとはどうであろうか。
 ふとしたことから心惹かれて上の空になり、親しむことは進まないのに、恋心だけがつのる。馴れ初めたことが悔やまれる。』


 山伏は牛若を見て言った。
 「それにしても、ただいまここにおられた稚児たちは皆、お帰りになってしまったのに、どうしてあなたお一人、ここにいらっしゃるのですか。」
 「はい、それは、ただいま稚児たちは平家の一門、そのなかでも清盛様の子であるために、この寺でのもてはやされ方はまさに時の花です。
 それにひきかえ私は、同じ寺にいる身ではありますが、何事につけても恥ずかしいことばかりで、月にも花にも見捨てられてしまいました。」
と、牛若は山伏の顔を見上げた。
 「ああ、なんといたわしいことだ。私はあなたのご身分を知っているので、なおさら心が暗く閉ざされます。
 この暗い鞍馬の山道では、花が道しるべです。こちらへおいでなさい。」
 山伏は牛若を抱き寄せた。

 ………

 山伏は牛若を見つめて言った。
 「さて、このほどずっとお供をしてお見せしたのは花の名所、愛宕や高雄の初桜、比良や横川の遅桜、また吉野や初瀬などの名所……。およそ見残した所はございません」
 「それにしても、あなたはどのような方で、私をお慰めくださるのですか? お名前を名乗りください」
 「もはや隠すつもりもありません。この山に久しく住む大天狗とは私のことです。
 あなたは、兵法を奥義を受けて、平家を滅ぼしなさるべきです。そうお思いになるのなら、明日お会いすることにしましょう」
 それでは、と言って、大天狗は一礼をして飛び立っていった。


 それから月日が経って……。
 「もうし、遮那王どの。ただいま小天狗をお相手にさし上げましたが、稽古の腕前をどれほどお見せになりましたか?」
と、大天狗が尋ねると、
 「はい、さきほど小天狗が来ましたので、軽く斬りつけて、稽古の腕前をお見せしたいとは思いましたが、それでは師匠に叱られ申すかと思って、思い留まったのです。」
 「ああ、なんと愛おしい可愛い人であろうか。そのように師匠(大天狗・自分のこと)を大切に思っておられるのか。
 あなたはなんとも華やかなご様子でありながら、この姿も心も荒々しい天狗を、師匠や坊主と尊敬してくださるのは、なんとしてでも兵法の大事を残さず授かって、平家を討とうとお思いになっているからだろうか。なんと殊勝な志であろうか。」

 「ああ、あなたの身の上、そして時の成り行きを考えると、やがてあなたは平家を西海に追い下し、敵を平らげ、会稽の恥をすすぐでしょう。そのような御身を私は守護する決意です。」(免許皆伝らしい)
 大天狗は、ではお暇をいただきます、と膝をついて一礼し、立ち去ろうとした。牛若が袂にすがって引き留めなさったので、
 「いや、まことに名残惜しいが、九州や四国の合戦においても、影のようにあなたの身を離れず、弓矢の力を添えて守ることにしましょう。どうぞ頼みにしなさい。」
と言って、夕闇の中に消え去ってしまった。



 これは、能の一つで、それゆえセリフにつながりがなかったり、話の展開に説明不足な点があるやもしれませんが、どうかご容赦ください;

 仕事につかれ、世間から邪魔者扱いされて寂しい思いをしていたところに、ふとしたやさしい言葉を掛けられて、はからずも恋に落ちてしまったオジサンの心情ってこんな感じなんでしょうか。
 大天狗さんは牛若が何を言っても可愛いみたいです。判官ラブ。

 しかし大天狗さんは、さすがにオトナですね。すごい力を持ってるんだから、いくらでも牛若をモノにすることができたのに、前途ある少年を教え導き、未来の守護を約束する。禁断の恋に対するなんともオトナな対応。見習いたいね(誰に言ってるんだ;)。

 桜の名所をまわるシーン(深読みするとなんとなく精神的にエロい感じだなぁ)は、舞台上では、一緒に舞台をぐるりと見回すだけですが、物語的にはどうなんでしょうか。抱きかかえて飛ぶとか? それじゃ先に正体がバレてしまうか。地道に歩いて回るのはヤだなぁ。
 とにかく不明な点は想像力・妄想力でカバーしましょう。でも、実際の能も見てみたいですね。


 ☆歌の部分の原文(『』の所です)☆
  老をな隔てそ垣穂の梅 さてこそ花の情知れ
  花に三春の約あり 人に一夜馴れそめて
  後いかならん うちつけに
  心虚(そら)に楢柴(ならしば)の 馴れは増さらで
  恋の増さらん 悔しさよ

 解釈はいろいろ出来そうですね。
  相手からも愛されたい。
  いや、一晩共に過ごしたからといって、なんになるわけでもない。きっと冷めてしまう。
  親しさは深まらないのに、愛しさばかりがつのる。なぜ、恋してしまったのか。
  でも、愛されたい……
 そんな矛盾した気持ちが、ぐるぐる回っているような……。老いらくの恋、です。

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