梅色夜話



◎「木挽の夕涼み」(『野傾友三味線』より)


 良いことがふたつ重なる、ということは滅多にない世の中である。
 萩野沢之丞・谷島主水は、武蔵野の広い目から、名誉のしこなし(立ち振る舞い)者と我を折って、群集の眠りを覚まさせたものである。
 これを思うに、何事によらず、功を経ねば上手には至らず、上手になるころには歳をとってしまう。「面影がかわらないでほしい」と和泉式部が老をなげいたというのも、もっともである。「遠慮すべきこと、芸子の一座にて歳せんさく」と、古人のことばにもある。
 しかし、二代前の中村数馬は、背は小さく、変わってしまった声を使わず、そもそも若衆方(若衆の役を演じる役者)となって、舞台を踏んだ三十三年の間、容姿がついに変わることのなかった子供であった。
 公界(くがい:デビュー)十二歳から勤めて、四十九歳の秋まで、孫ほどの歳の客にも抱かれて寝ていたのは、野郎(男娼)はじまって以来の例のない世語(うわさ話)となった。

 ここに、両国橋の花火見物に出て(夏の話です)、二・三人連れ立っている友人同士がいる。「この暑さでは、いつもの宿は堪えがたいだろう」と、誘う水にまかせて、木挽町(こびきちょう:芝居小屋が立ち並んでいた町)の裏筋にある、知り合いの亭主を訪れた。
 物好きがさまざま集まっている中に、庄一という男がいる。
 「どうだ、歳は十八・九までなら構わない。小作り(小柄)である男色が望みなのだが」
というと、主人は心得て、
 「花井品之丞さまといって、いまだ板付き(舞台子の中で上位の者)ではいらっしゃらないのですが、お年は十六・七と思うのですが、小作りで、十二・三歳のお可愛らしさです。この子にお決めなさっては」
と薦めた。


 庄一が、いかにも嬉しそうな顔で待っていると、品之丞さまが御出でになった。亭主が言うのにたがわず、十三・四歳と見えて、男たちの間に入って酌をするのにも、いやなことろは一つもない。
 庄一は、思いのほかに喜んで、残りの二人もそれぞれ馴染みの方へ使いを出したのだが、どちらも障りがあってやむを得ず、品之丞ひとりを一木の花の眺めにして、酒を飲み交わしていた。
 ほどよく酔いが回って、面白く遊んでいる最中、”ぢしんどろどろ”となると、地震が起こって、はなはだしく茶桶の水をゆりこぼした。行灯の油は波打って、ともし火を消した。
 「これは、これは」
 人々は肝をつぶして、台所へ逃げ込み、雪隠にかくれ、念仏を唱える。花車(女主人)はにわかに血の道(めまい等)が起こって鉢巻をさがし、気丈な客も、たがいに顔を見合わせて、しばらくは無言の行者・座禅の一座のようであった。

 そんななか、品之丞ただひとりはちっとも騒がず、三味線を抱えてゆったりと、一休の合いの手を小野川流に調べて、なんともない顔つきである。
 ようやく揺り止むと、人々は生き返った心地で印籠から気付け薬をだして飲み、水で息を継ぎ、正気になって、
 「さてさて、我をおりましたのは品之丞さま。まったく怖がることもなく、声を張り上げてうたっておられた。
 まったく、子供衆と引き換えて、この木男(不粋な男)どもの只今のうろたえようは面目もありません」
と大笑いすると、品之丞はえくぼのある笑顔で、
 「みなさま方は御存知ないでしょう。いまから四十六年前の地震は、こんなものではございませんでした」




 わ〜、こわ〜い。思いもよらない落ちに、面食らってしまいました。でもちゃんと冒頭に前振りがあったんですよね。

 この話には、いくつか貴重な史料(?)となるべきポイントがあると思われます。
 まず、中ほどに出てきた「小作り」。「小作り」は、「小柄」という意味です。庄一さんは、「小作りなる男色」がお好みだといっていましたが、これって、今でいう「ロリ」?
 歳は気にしないと言っていますので、低年齢な子が好きというわけではないようですが、外見はローティーンな感じがイイというわけなんですね(フェチの世界は奥深い……)。
 庄一さんは亭主の勧めで、品之丞さまという舞台子を呼ぶことにしました。待っている間もドキドキわくわく。陰間遊びには、お店に直接いく場合と、このように料理屋や宴会の席などに呼ぶ場合とがあります。
 
 さて、品之丞くんが加わって、座がますます盛り上がる中、なんと「地震」が発生します(原文にも「地震」と書かれている)。あわてふためく主人一家やお客たち。このあたりの描写がリアリティーがあっておもしろいですね。ちょっと驚きすぎだけど;

 大人たちが地震にビビリまくっていたなか、品之丞くんだけは、声高らかに歌っていらっしゃるという落ち着きぶり。男たちが「いやぁ〜面目ない」と大笑いすると、品之丞くんは、えくぼのある愛らしいお顔でにっこり笑って、
 「四十六年前の地震はこんなものじゃありませんでした」

 きみ、いくつやねん!!
 おお、おそろしい。六十は越えてるってコト!? 冒頭の中村数馬さんも「三十八年間、子供の姿のままだった」とありますが、そんなことってあるのでしょうか。
 科学的に考えると、成長ホルモンの出が良くないということなのでしょうか(かくいうワタクシも医者に「成長ホルモンがちょっとしか出ていない」と言われた小作りな人間ですが……)。
 いいえ、ワタクシは信じております。彼らが食するのはバラのスープだけだと。そのあまりの美しさに神は、若衆の時をとめたのです!

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