梅色夜話



◎「金龍山の舟催ひ」(『野傾友三味線』より)


 今回は少年役者とその「金剛」のお話です。そこで、本文に入る前に「金剛」について、すこしお話しさせていただきます。
 「金剛」とは、簡単にいうと、少年役者(舞台子など)の付き人のことです。身の回りの世話や外出の供が主な仕事で、役者の監視役もかねています。
 このように、表向きは役者に従う「草履取り」のようにも見えますが、実は、役者にお客を取らせるのも「金剛」であり、言葉遣いも対等で、むしろ「金剛」のほうが主人であるかのような場合もあるそうです。
 「草履取り」のようで「草履取り」でない、「草履」に似て「草履」ではない、「金剛草履(藁などでできた丈夫な草履)」のようだ、というわけで、彼らのことを「金剛」とよぶ、と『都風俗鑑』に書かれています。

 では、本文。



 (前略)
 大勢の役者たちが金龍山(浅草寺)のふもとから舟を浮かべて、宴を催し、夏の暑さを忘れていた。
 まず一艘の舟では、このたびの下り役者(上方から来た役者)が故郷の自慢話を始めた。京の涼みの川々の美しさを語り終わらないうちに、声をかけたのは遅ればせの舟の面々。山中九郎・村上善右衛門・鎌倉長九郎・富沢千代之介と外山かもん、そして大阪下りの藤浪幾之介である。


 この宴を催した大尽(お金持ちのお客)は、石町の七二という男である。二艘は並んでしらりと飲み明かしたが、残月(明け方の月)もつれなく見えて、朝めしの時分ほど気の乗らないものはないと、人々は宿へ帰っていった。

 さて、藤浪幾之介(いくのすけ)という若衆は、色あって情け深く、それを好むという若衆にはないはずのことながら、恋知り(恋愛マスター)の習いで、床はしめやか(しとやか、上品)であって嫌な態度を見ることはない。よって、男色に心有る客は、一度の逢瀬で別れてもまた忘れることができなくなり、魂を残さずということがなかった。
 その幾之介の金剛に、水月源兵衛という男がいる。もともとは痩馬の口を取り、鑓の一本でも持って手を振っていたのだが、その頃から前髪(若衆のこと)に乱れ心を抱いていた。
 そんなとき、緒柳春之丞という陰子に給料をつぎ込み、しかし、しがらみのない身であるのを幸いに、浮世の思い出に芝居子の櫛扱いにでもなりたいものだと思っていたところ、ついにこの春から、幾之介の付き人となるに至った。


 源兵衛は常々心の中で、「惜しいことだ。主従の隔てがなければ……」と思いくづ折れていた。
 我が伏屋(みすぼらしい家)に宿る月より外は、この恋を知っているはずもない世の中だ。なにか咎があるなら死ぬまで、と心を決めた。
 今夜(冒頭の舟遊び)の酔いで、幾之介の正気がなくなっているのを、源兵衛は渡りに舟と乗りかかって、かたじけなくもまんまと盗み果たした。そしてもはや思い残すことはないと、ひとりほくそ笑んでいた。
 すると幾之介が目を覚ました。
 「誰もおれの蚊帳のなかには来ていないか?」
 幾之介の問いに、源兵衛はなんともない顔つきで、
 「猫すらも参りませんでした」
と答えた。幾之介は
 「ああ、いやだ。昨日今日とお客がないから、妄想を見たみたい」




 「妄想」は原文のままです。酔って前後不覚になっているところを××されてしまった幾之介くん。まあもともと舞台子ですし、傷は浅いか……。

 幾之介くんは、大阪から下ってきた役者さんです。当時は、江戸の役者が上方へ、上方の役者が江戸へ来て、舞台にでるということがままあったようです。今で言うと、海外スターの来日みたいな感じ?
 上方は芝居や遊興の発祥の地ということもあってか、そこの役者や陰子たちは非常に洗練されており、江戸の人々にも大人気だったようです。

 さて、そんな幾之介くんの付き人・金剛が源兵衛さんです。根っからの若衆好きで、幾之介くんにも惚れてしまいましたが、主従関係に悩みます。冒頭で、金剛は役者と同等以上といいましたが、彼は下級武士あがり(くずれ?)の中途採用ですから、一座のなかでの立場は弱いんでしょうね。売りモノに手を出してはいけないということもあったのかもしれません。
 そんな日ごろの悶々を、ついに発散させるときがきました。酔っ払っているのをいいことに……、って非道〜〜。しかし、これがバレたなら死ぬだけだ、という覚悟の恋です。う〜む。
 とうとう思いを遂げた源兵衛さん。しかし、幾之介くんにも、ほかの誰にもこの恋はバレませんでした。これから源兵衛さんはどうするのでしょうか!? (また同じようなことを繰り返すような気もする……;)


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