梅色夜話



◎「諸法は喰に極るいく世餅」(『野傾友三味線』より)


 (前略)
 ここに、血気盛りの所化(修行中の僧)がいた。もともと貧学で、窓のともし火の元で『好色一代男』や『諸艶大全』などを繰り広げて、見たことのない世の中の色遊びに目をさらし、面白く快い巻々になぐさまっていることこそ、無分別の種となっているのだろうに。

 心は縁にしたがって移ろいやすいものだから、あらゆる色欲・男女の梅桜は、世にさかりを見せているけれど、金銀というものがなければ、ままにならない。

 所化はせめて目の正月(目の保養)として、出家に似合うように歌舞伎子を見て、この世の楽しみにすれば、わずかな芝居銭で事足りると思い定めて、山村長太夫のかわり狂言(前回の興行とは別の演目を行う)にかけ出して行った。
 鈴木平吉・水木竹十郎・荻野八重桐・袖崎香織。藤山吹の色をあらそうかのように立ち並んでいるのにつけても、「いんつう(=お金)という一物がなくては、この世に住んでいる甲斐もない」とかえって叶わない恋に打ちしおれてしまった。
 そこからかならず無常がおこるはず、というところに、十二・三歳の若衆が、ひざの前で見物していた。
 たまたま後を振り向いたその美面には百の媚。舞台の野形とはくらべものにならないほどである。焚きしめた移り香に、芝居を見ても見られない。

 若衆には不思議と供もなく、連れ立つ人もいない。座をゆずってゆるりと座り、芝居の終わるのを待っていると、ほどなく追い出し(興行の終わりを告げる太鼓)がさわぎだした。そんななかでも(大勢の人が芝居小屋から一斉に出てくる)、目を離さずにかの若衆を慕い出て、声をかけた。
 「これはお一人で。道すがらお供いたしましょう」
と口説くより、茶屋にいざない、ついに情の床に打ち解けた(はやッ!)。

 思いもよらない思い出に、いかなる月日のご縁であろうかと、かたじけない幸せに涙をこぼした。
 野郎(舞台子を買うこと)を考えて算用してみれば、金剛もあわせて金子一両のところを、わずかの食事代までふくめて、このような美形を手に入れることができたのは、極楽がここからさほど遠くはないということか。
 所化がありがたいお付け差し(口を付けた盃を与えること)をいただいているところへ、
 「旦那はここにおられますか」
と、ひどく苦々しい顔をした男がやってきた。そして
 「なんともお暇入りました(手間取りました)。さあさあ」
と言って身ごしらえさせた。
 金子二角は花代、二朱三百文は入用(いりよう、費用)、これはどうしたものか。




 オチは分かりましたでしょうか。作者はん、もうちっと説明せいや、というところなのですが、すなわちこれは、「色子のお忍び」 とでもいいましょうか。

 修行中の身とはいえ、色事のことは気になるもの。西鶴さんの名著を読んで、いろいろと妄想を膨らましますが、お金がないので実行にはうつせません。
 せめて役者の美しい姿を見るだけなら、歌舞伎座の入場料だけで十分楽しめるはず。そうは思っていても、いざナマの女形・若衆方の姿を拝んでみれば、お金さえあれば、あの子たちを買うこともできるのに……と、よけいにむなしい気持ちになってしまいました。

 歌舞伎において、女形や若衆方が大勢出てくるような場面がありますが、あれは新人役者や舞台子のプロモーションの役割もかねたものであります。若殿などの、いるだけでセリフのない役もそうです。「あ、あの子可愛いな」とじっくり拝見して、芝居が終わったら、その子を買いにいくわけですね。「牛若丸」の役なんかモロにねらってますよ(いえ、偏見ではなく川柳にもそういう歌がありまして……)。

 さて、「世の中金」という現実に直面して、本来ならそこで仏道に帰っていくものなのですが、なんと目の前に、十二、三歳の美しい若衆が座っているじゃありませんか!
 芝居帰りの人出のなかでも見失わずについて行き、一人になったところで声をかける。そのまま「茶屋」に誘って床に……。ってだから早すぎるだろ! こんな都合のいいこと、フィクションの世界でしかありえませんよ!(いやフィクションですが;)
 それを、ありがたいことだと言って涙まで流す所化。野郎を買うことを考えたら、食事代くらいでこんな美少年とヤれるなんて極楽だ……。
 と、悦に入っているところに、謎の男が乱入。少年に向かって、「お探ししました!さあ早く」 と言って、身支度させます。最後の文章は、この男からの請求でしょうか。「花代」とは、遊女や陰間と遊ぶ時の代金です。
 すなわち、この男は「金剛」で、少年は「色子(舞台子?)」だった、というわけです。いそがしい仕事の合間にこっそり抜け出して芝居見物(ライバルの偵察か!?)。そこで出会った僧と行きずりの恋……。君、君、夜になったら仕事でいくらでもしなくちゃいけないじゃん! 自由な時間くらいは控えた方が良いのでは……。

 ま、この子の穿鑿はおいといて、今回の注目トピックス「陰間の花代」について、見てみましょう。
 本文によると、野郎を買うには、その金剛(付き人)の雇い代もふくめて「金一両」となっています。現代の貨幣価値への換算値は、文献によって異なりますが、いまの感覚にしてみると、およそ10万円くらいです。う〜ん、高いなぁ。
 では、今回の美少年の場合はどうなのでしょう。「二角」は、一分金または一分銀二枚分という意味です。一角の値がおよそ2万6000円ですので、花代は5万円とちょっと、ということになります。
 さらに食事代や諸々の費用がかかってプラス「二朱三百文」。二朱は約1万3000円ほど、「一文」は約26円ということらしいので、諸費用は2万円ほどになります。
 それらをあわせて、この僧が払わなくてはならない金額は……
 およそ 7万3000円 也。

 野郎の花代よりは劣りますが、それでも数時間で7万ですか……。現代の色遊びの相場はよく分かりませんが、やっぱり高めなんじゃないでしょうか。
 美少年は貴重な存在。たやすく手に入るものではありませんね。


ブラウザを閉じて下さい。