■艶色小咄集 その一■ ◎蓮華(れんげ)(会話文は原文のママです) かげまが、十死一生(生きる見込みのないこと)にわずらっている所へ、馴染みの和尚がたずねて来た。 かげまは悦び、 「私はおいとまごひでござります。あなたの仏さまにおなりになされますを、あの世で待っております」 と言うと、坊主は頭を振って、 「おれは仏にはならぬ、ならぬ。おれは来世には、蓮の花に生まれるつもりじゃ」 「ソレハ、なぜでござります」 「ハテ、蓮華になって、おぬしが尻を抱いている気さ」 *解説的蛇足* こっ、このかげまくん、めちゃカワイくないですか!? 江戸後期のリアルな敬語がたまりませんッ! 「あなたが仏さまになるのを待っています」というかげまに、和尚は「おれは、蓮の花に生まれ変わるつもりだ」という。なぜなら、仏は蓮華の上に座る、と言われているからなんですね。 単純に考えると、煩悩大爆発の和尚の発言に苦笑いしてしまうところなんですが、表現にはユーモアがあふれていると思います。相思相愛なら、ちょっとしたセクハラ発言だってオッケーさ。かげまくんもうれしかったんじゃないでしょうか。 ◎色子(「わかしゅ」とルビ有)(『今歳花時』より。すべて原文のママ) 芳町はじめてのお客、床入りしてお心持ちがよくなったと見へて、 「俺はモウいく、そなたは、どうじゃ、それいくいく」 若衆「きたきたきタサノサ」 *解説的蛇足* 「キタサノサ」は当時流行した歌謡の囃子言葉だそうです。 この子はもう、完全にやる気をなくしていますね。一日に何人もの相手をしなくちゃならないし、初会で床入りだし、相手は勝手にはしゃいでるし……。水商売も楽ではありません。 こんな短い文章ですが、「あの現象」を当時も「いく」と表現しているというのが分かっただけでもスバラシイです。 ◎衆道(『今歳花時』より。すべて原文のママ) 「痛くはせぬから、いふなりになりゃ」 と、やうやう合点させて、尻引きまくり、よくぬらしてもかり首が通りかねるを、チクト力を入れて押し込めば、ヌルヌルグウイと這入(はい)った。 若衆の前、手をやってみたれば、若衆のへのこがグットをへた。 「ナム三宝つきぬいた」 *解説的蛇足* 限りなく強制に近い和姦……。しかも念者さまの方もいまいち経験が少ない様子。カタカナの擬音には静かな破壊力があるように思います。あらら。 分からない単語は各自でお調べください。ちなみに「をへた」は「生えた」です。 これこそ「衆道」の真実。妄想ではなく現実の「男色」の一端でしょうか。 |