梅色夜話



◎傘持てもぬるる身 巻二の(二)
 神尾惣八郎(21)(武士)×長坂小輪(小姓)(13)


 明石から尼崎に向かう使者・堀越左近が、生田で急に降り出した雨に難儀して、木の陰で雨宿りしていると、十二、三歳の美少年が、傘を持ってしかしそれをささずにやってきた。
 そして左近を見かけると、「お貸ししましょう」と言って、供の者にそれを渡したのだった。
 左近が
 「御好意は有難いが、しかし、さしあたって不思議なことがあります。傘を持ちながらご自分が濡れていらっしゃるのはなぜですか?」
と問うと、少年は涙を流した。
 「やはり何かわけがあるのだろう。お話しください」
 左近が聞くと、
 「私は、長坂主膳の倅、小輪(こりん)と申す者です。父が浪人の時病死したので、土地の人のお情けを受けながら、母は世を渡る技に、男のする傘細工をしております。それを思うとわが身がぬれるからといって、天の咎めも恐ろしく思われて、傘をささないのです」
と言った。
 この心がけに感心した左近は、小輪の母の住む里まで人をつけて見届け、明石に帰るとすぐに、殿に小輪のことをお話申し上げた。
 殿は「すぐに連れて来い」と仰せられ、左近は車で小輪母子を迎えにやった。
 小輪を殿の御前に連れて行くと、わざとならぬ顔ばせは、遠山に見初める月のようである。髪は声なき宿烏(カラスのこと)にひとしく、芙蓉(ふよう)の瞼じり、鶯舌の声音、梅のように素直な心ざし、それらがしだいにあらわになって、殿の寵愛は日に日に増し、夜の友となっていった。


 お次の間に控えている寝ずの番が、聞き耳を立てると、殿の御戯れはしだいに荒々しくなって、
 「お前のためならば命を捨てる」
とまで仰られるのだが、小輪はそれを有難いとは言わず、
 「御威勢に従うのは誠の衆道ではありません。私も心を磨いて、だれであっても執心を懸けるならば命に代えて親しみ、浮世の思い出に念者を持ってかわいがってみたいです」
と言う。殿はすこし苛立ちなさり、その言葉を座興にしてしまおうとしたけれど、
 「いまの言葉は神に誓って偽りではございません」
とまで言う。殿はあきれて、その気性の強さをかえって憎からず思われるのだった。


 そのころ、母衣大将の次男に、神尾惣八郎という男がいた。惣八郎は常々、小輪の心底をよく見ていて、文で恋を訴え、互いに恋心を伝える日々を過ごしながら、時節を待っていた。
 年の暮れの十三日は、すす払い。御吉例の衣くばりの夜である。着古しを母のもとへ送った葛籠(つづら)の中に、小者の才覚で、惣八郎を入れて、お次の間までしのばせ(だいた〜ん!)、自分は宵のころから腹痛といって、引きこもっていた。
 戸を開ける音や、車の音も、殿もはじめは気にかけていらっしゃったが、後には御休みになり御いびきの音ばかりになった。


 恋はいまぞと、惣八郎と会い、まずはかるた結びの帯も解かず、この上もない情けをかけ(ちとえろいv)、なおも行く末までの言葉をかため、「二世までも」と誓いの言葉を交わした。
 その声に殿は目をお覚ましになり、
 「まさしく人音、のがさぬ」
と槍を持って駆け出そうとなさるのを、小輪は御袂にすがっていろいろと取り繕い、そのうちに惣八郎は柏の梢から忍び返しを飛び越えて逃にげていった。
 殿は、その人影を見つけなさって、いろいろと穿鑿なされたが、小輪が
 「すこしも身に覚えがありません」
と言うと、「さてはいつぞやの狸のしわざか」とご安心なさった。
 ところがその時、金井新平という隠し目付けが差し出て、
 「さばき頭に鉢巻をしている男を見ました。しのび男に違いありません」
と言う。そこで、吟味の仕方がかわって、殿は「ぜひとも白状せよ」と仰るので、小輪は
 「小輪に命をくれた者です。たとえこの身を砕かれても申しません。このことはかねて御耳に入れておきましたのに」
と、嘆く様子もなかった。



 それから三日後の十二月十五日の朝。
 兵法稽古の座敷に小輪を召し出され、家中の見せしめに、殿は御自身で長刀をとり、「小輪、最期」とお言葉を掛けられた。
 すると、小輪はにっこりと笑って
 「長き御よしみとて、お手にかかること、思い残すことはありません」
と言って、立ち直るところを、殿は左手を打ち落としなさって、「今の気持ちは」と尋ねる。
 小輪は右の手を差し出し、
 「この手で念者を撫でましたから御憎しみは深いでしょう」
と言う。飛び掛って、その手までも切り落とすと、小輪はくるりと背を向けて
 「この後姿、またと世に出ることもない若衆でございます。みなさま見納めに」
と言う声も次第に弱まる細首を打ち落とされて、殿はそのまま御涙にくれ、御袖は目前の海となって、座中は浪の声。しばらくはやむことがなかった。


 小輪は妙福寺に埋葬され、あわれ、露のように消えてしまった。
 小輪が殺されて、しかしその念者がいまだに現れないので
 「よもや侍ではあるまい。野良犬の生まれ変わりだ」
と人々は謗りあった(ひどいな)。
 しかし翌年の春、惣八郎は見事、新八に止めを刺して首尾よく立ち退き、小輪の母の行方までも深く隠し、自分は小輪の塚の前に心底を書き記した高札を掲げ、今年二十一歳を一期として、眠るように腹を切って果てた。
 翌朝、その有様を見てみると、ありありと、一重菱の中に三引(みつびき)を切ってあったが、これこそ、小輪の定紋である。
 「とても恋にそまる身ならば、かくこそあるべけれ」
 それから七日のうちは、国中の山をわけて探してきた手向けのしきみ(仏前にそなえる草。線香の材料にもなる)で、寺の池を埋めたということである。



 この話は、わたくしの好きな話の一つです。
 まず小輪ちゃんがよい。健気なのに大胆で強気。13歳なのにしっかりしてて大人です。21歳の若侍と付き合っちゃうのも頷けますね。しかも「こりん」ですよ、か〜ゎい〜v
 小輪ちゃんは、幼いけれども、自分の衆道や人生というものに、信念をもって生きています。「殿」という最高権力よりも、その信念を大切にして、それを自負している小輪ちゃん。かっこいいなぁ。
 そんな小輪ちゃんを、惣八郎さんは子供扱いしないで真剣に愛してくれています。むしろ尻に敷かれぎみ? 死に際しても、小輪ちゃんへの気持ちを書き示したり、小輪ちゃんの家紋柄に腹を切ったり。
 小輪ちゃんのような若衆さまも滅多にあらわれないだろうけど、惣八郎さんのような念者さまも、またとない存在だと思います。
 そして殿さま。一番小輪に惚れてたのは、この人だったんじゃないでしょうか。小輪ちゃんの最期はあまりにも衝撃的で、印象的で、絶対にまねできない。これ以上言うことはありません。感動。


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