梅色夜話
■軽口衆道往来 ダメ男 その二■
引き続いて、念者にするにはあまりよろしくない方々を御紹介。ああぁ;
◎きのふはけふの物語(上・捨76)
ある坊主、喝食(かっしき:*)に深く惚れこんで、何か差し上げようと、色々様々取っ替え引っ換えに可愛らしいもの(玩具類?)を御目にかけるのだが、ろくにご覧にもならない。そこで坊主が、
「ここに横川の御筆さんていし、所持つかまつり候。さうてんも御一筆にて候。もし御用には御座ないか。
(わたしは源信上人直筆の三体詩(=唐代の詩を編纂した書)を持っているんですよ。装丁(表紙)も御直筆です。ひょっとしてお使いになりませんか)」
と申し上げた。喝食はお聞きになって、
「それはなつかしい。ちと見たい事ぢゃ。(それは心がひかれます。ちょっと見てみたい)」
「さらばとに参り候はん。(それならば、急いで取りに参りましょう)」
坊主は和泉の国(大阪:舞台はおそらく京都なのでしょう)の生まれだが、急いで取りに帰った。
しかしその間に、喝食は吉日良辰(暦の上でめでたい日)を迎えて、髪を下ろしてしまわれた(受戒して僧になった)。
そののち、かの坊主が和泉から帰ってきたが、喝食が新発意(しんぼち=僧になって間もない者)におなりになった姿を見て、恋が冷めた。
「さて、先度の三ていしは。(ところで、この間の三体詩は)」
と、喝食が仰せられるので、
「なかなか、取りて参りては候へども、かりほんにて候。(いやいや、取って参いってはみましたが、写本でございました)」
と紛らわした。
*このお話は*
惚れた喝食に、源信上人直筆の詩集をあげようと取りに帰った坊主でしたが、帰ってくると、喝食は髪を剃って僧になってしまっていた。髪という魅力を失った姿を見て恋が冷め、プレゼントするのをやめたという話。
*ポイント*
「喝食」:禅寺における稚児のような存在です(というよりほぼ"稚児"の同義語かと)。長い髪を束ねて垂らし、美装・美粧。僧の恋の対象です。
稚児・喝食の中には、まじめに修行して僧になろうと志している子もいます。彼らが髪を下ろすと、「新発意」と呼ばれるわけですね。
稚児や若衆の最大の魅力の一つが「髪」です。やっぱりあるのと無いのとでは、見た目が大きく違いますよね。
この坊主の気持ちも分からなくはないのですが、所詮は渇食の外側だけを見ていたというコト。恋がさめたからといって、本をくれないというケチっぷりもいただけません!
◎きのふはけふの物語(下・35)
「御若衆さま、弓矢八幡命がつれなふて、かやうに物を思ひ候。露ばかりの御情。
(御若衆さま、とてもつらくて、いっそ死んでしまいたいのですが、命が思うようになりません。それでこのように恋の病に苦しんでおります。少しでもこの私の恋心にお情けをかけてください)」
と、いろいろ言葉を尽くして申し上げると、若衆はお聞きになり、
「我も岩木ならねば、御心中思ひやり候へども、とかく念者がきつうて心にまかせず候。さ程に思し召し候はば、永き契りとなり申べし。いざや一所に身を投げて、同じ蓮(はちす)の縁となるべき。
(私も岩や木ではございませんから、御心は思いやられますが、とにかく念者が厳しい人なので、思うままにできません。それほどにお思いになっていらっしゃるのならば、あの世でいつまでも一緒に暮らす、永い契りを結びましょう。さあ、同じところに身を投げて、あの世で同じ蓮に生まれましょう)」
と、仰せられる。男は
「さてさて、かたじけない事かな。さらば御供申さう。(なんとも有難い。それならば、ご一緒に)」
と言って、ともに川のほとりに行くと、若衆が仰せになった。
「いざ手をとりくみて、死出三途をも越さん。(さあ、手を組み合って、死出の山・三途の川をも越えて行きましょう)」
しかし男は、
「我らが事は、何と果て候ても苦しからず候。まづまづ御急ぎ候へ。御成り候やうを見届け参らせて、やがて追ひつき申すべし。
(私のことは、どんな死に方をしてもかまいません。それより御急ぎください。あなたの御最期を見届け申し上げてから、すぐに追いつきましょう)」
と、深く約束申し上げた。若衆は、
「その儀ならば、六道の辻にて待ち申さん。(そういうわけならば、六道の辻でお待ちしております)」
と言って、気の毒なことに、まだ十六歳ほどとお見受けする、花のようなお姿を、波の藻屑となしてしまわれた。
さて、念者(男)は心を落ちつけて十度念仏し、一首よんだ。
南無といふ声のうちより身を投げて阿弥陀は水の底にこそあれ
(犬筑波集などに見える連歌。男の自作じゃないようです。)
とは詠んでみたが、
「思へばいらぬ事ぢゃ。ただ生き残りて、後世を弔い申してこそ、真実の心ざしにてあれ。
(考えてみればつまらない事だ。このまま生き残って、あの子の菩提を弔い申す事こそが、念者としての真の心がけであろう)」
と、反省して、まっすぐに駆け戻った。
しかし、かの若衆も生きていて、何とかして岸に上がり、男と出くわした。男は幽霊かと思い驚いて、剃刀をぬいて八双に構え、
「いかに亡霊、たしかに聞け。あとを弔ひてとらする。某を恨みて不覚するな。(いいか亡霊、よく聞け。お前の跡を弔ってやる。俺を恨んで過ちをするな)」
言い捨てて、後も振り返らずに逃げた。
*このお話は*
さる若衆に惚れた男は、言葉を尽くして若衆を口説く。若衆はすでに念者のある身だったが、そこまで言うのならと、心中を提案する。
しかし男は若衆が身を投げた後、怖くなったのか、もともとその気がなかったのか、後を追わずに帰ろうとする。そこへ、じつは生きていた若衆と鉢合せし、慌てふためきながらも、芝居のセリフのごとき勇敢な捨て台詞をいうところが滑稽な話。
*ポイント*
叶わぬ恋には「心中」です。でもたいていは、片方が死んで片方が生き残っちゃうんですよね;
今回の心中方法は、川に身を投げるというもの。手をつないで一緒に、というのがイイですねv
今回、セリフとしてはっきりと、「御若衆さま」「念者」という言葉が使われています。こういう言葉が実際にこういうふうに使われていたんだと確信できる好資料ですね。
この男の行動も理解に苦しみますが(怒。菩提を弔うにしても、遺体を捜してからにしろ!)、若衆さまのほうも、念者さまがいるのに、なぜこの男と心中する気になったんでしょう? 厳しい念者さまがイヤになったの? それともこの男を試したの?(下手すりゃみんな死んじゃうじゃん;)
しかし今回のことで、恋心は言葉ばかり、先に自害を促すような男より、多少束縛的でも一途に思ってくれる念者さまのほうが断然良いとお思いになったことでしょう。
**まとめ**
まだまだいますね、だめんずが。なにがダメって、心が伴ってないんですよね。みなさん、美少年の御カラダを手に入れることばかりに一生懸命で……;
ああ、BL古典文学界には、グッジョブな THAT'S 攻め さんはいないのでしょうか。全身全霊を捧げてお探ししております。
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