梅色夜話



■軽口衆道往来 稚児の食生活 その一■

 平生、文学の世界では、理想の美少年として神にも等しい扱いを受けているお稚児さま、若衆さまですが、花盛りの彼らはおよそ13歳から17歳。……食べ盛りなのです。


◎きのふはけふの物語(上・31)

 小ちご、親里からお帰りになって、そのまま小座敷へ腹をかかえてお入りになる。大ちごが気の毒そうな顔で近づき、
 「何と、御心あしきか。(まあ、御気分がお悪いの?)」
と仰せられると、小ちごは、
 「いや、道にて餅をしいられて、胸がやくる事、なにとも迷惑ぢゃ。(いや、帰る途中の家で餅を無理に食べさせられて、胸がやけること、なんとも困ったことぢゃ)」
とおっしゃる。大ちごは、
 「さてさて、その類火にあひたや。火元はいづくやらん。(そうかそうか、その火事を貰いたいものだ。火元(餅をくれた家)はどこだろうか)」
と申された。


*このお話は*
 小ちごがお餅をたくさん食べて帰ってきたので、大ちごはうらやましく思ったというお話。
 「胸がやける」=棟が焼ける。そこから、「類火」や「火元」という縁語が出てきます。

*ポイント*
 小ちご、大ちご→稚児の中でも、年下の方が小ちご、年上の方が大ちごです。小ちごは、5,6,7歳くらいの幼い子供を指すこともありますが、普通は年下ならば年齢は関係ないみたいです。
 この話では、むしろ小ちごの方が大人びていて、大ちごの方が食いしん坊みたいですね。



◎きのふはけふの物語(上・37)

 三井寺の法印が、雨中の退屈をまぎらわそうと、「二度物思ふ」という題を出して、「これで一首づつお詠みなさい」と、二人のちごに仰せになった。

 大ちご
 春は花秋は紅葉をちらさじと年に二たびもの思ふなり

 小ちご
 朝めしと又夕めしにはづれじと日々に二たびものこそ思へ


*このお話は*
 「二度物思ふ」と言う題で、二人の稚児が歌を詠みました。年上の稚児はお年頃なので風流な歌を、年下の幼い稚児は、毎日必死に食事を確保する心情を詠みました。

*ポイント*
 小ちごの歌から、なんとな〜く稚児の生活が垣間見える気がします。きっとごはん時になると、我先にと給食のおじちゃんのところに駆けつけるんでしょうな。で、ちょっとでも遅くなると、もうナイ。食いっぱぐれてしまうわけです。いえ、妄想ですが;
 しかしこれだけは言えます。稚児の食事は、一日二回!



◎きのふはけふの物語(上・62)

 小ちごのお願いごとに、
 「餅や饅頭に核(さね)があらばよかろう。(餅や饅頭に、種があればよいのに)」
と仰せられる。大ちごが
 「餅も饅頭も、核のなきゆへにこそ奔走すれ。(餅も饅頭も、種がないからこそ御馳走として珍重するのだよ)」
と仰せられると、小ちごはお聞きになって、
 「其はまたい、そちやたりうたりう(他流)。さねがあらば、植へならべて花見して遊びたひ。(それはおろかな。違う違う。種があれば、植えならべて花見して遊びたい)」
といわれた。


*このお話は*
 「餅や饅頭に種があれば」という小ちごの言葉を聞いて、大ちごは、「餅も果物のように実がなれば、たくさん食べられる」という意味だと思ったのでしょう。しかし小ちごの真の願いは、餅や饅頭の花を咲かせて、花見をすることでした。

*ポイント*
 餅や饅頭は、彼らにとって御馳走なのですね。かわいいなぁ。それにしても、餅や饅頭の木には、どんな花が咲くと言うのでしょうか。風流なようで、子供らしい不思議な夢ですね。
 しかし、『きのふはけふの物語』の別の版本では、「たりう」は「たうり(道理)」、または「それもそうじゃが」となっているそうなので、本当は餅の実をならせて食べたいというのが、本音だったのかもしれません。

 彼らの会話を聞いていると、小ちごが大ちごに対して敬語を使うということはないみたいですね。中学高校の先輩後輩というよりは、小学校の高学年と低学年みたいなノリなんでしょうか。


◎きのふはけふの物語(上・捨70)

 ある稚児が、大盛りの飯にそのまま汁をかけて、何杯も召し上がる。後見人がこれを見て、稚児をにらんだ。稚児は
 「三位(後見人のこと)、おれをにらまうより、とろろのをつけをにらまいよ。(三位、おれをにらむより、とろろ汁をにらめよ)」
と言いながら、むずむずと(むしゃむしゃと、ぱくぱくと)たくさん召し上がった。


*このお話は*
 悪いのは、おいしいとろろ汁のほうなのです。

*ポイント*
 優雅風流を求められるお稚児さまは、ごはんに汁をかけて食べるなんて、お下品なことをしてはイケマセン。三位が怒ってにらむのも当然です。
 三位というのは、稚児の後見人の称で、稚児の世話係・マネージャーです。この子は高家の子なのでしょう。しかし食べ盛りの稚児にとっては、そんな忠告は迷惑なだけ。「おれよりも、とろろをにらめ」なんて、かわいらしい切り替えしじゃあないですか。

 おおっと、ここで、稚児のセリフに注目しましょう。なんと一人称が「おれ」。『きのふはけふの物語』は1624年成立といわれ、内容は室町末・戦国時代の世相風俗を映しています。そのころには、寺院のアイドルも、「おれ」と言っていたのですね。男の子だなぁ。




**まとめ**
 食にからんで、お稚児さまの暮らしぶり・心情を、すこしですが見ることができました。みんな考えているのは食べ物のことばかり。文学に表れる恋の化身とは大違い!?
 でも管理人としては、よく食べる男の子には好感が持てます。


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