梅色夜話



 九州に満尾貞友というお人がおりました。
 この方、「たまたま人と生まれて、衆道の極意を知らざるはまことに口惜しきことかな」とお思いになって、大乗院大師堂に毎日参詣したところ、七日に当たる夜、とうとう弘法大師さまが若僧のお姿にて現れたまい、
 「汝よくも心掛くるものかな、……汝ここに参籠せしこと感ずるに余りあり、汝に一巻の書を授くれば、以後他見するなかれ…」
 といって、かき消すように行ってしまわれた。(出典:南方熊楠全集)


 長い前説、失礼しました。とにかく、貞友さんの心意気に感じた弘法大師が、その極意を書き記した書をくださった、ということです。
 「若僧の形に現われたまい…」というのも、ツボを押さえた演出ですが、さてさて、その書には、どんなことが書かれているのでしょうか。ああ、見てみたい!!
 え?「他見するなかれ」? ああ、見てみたい!!




◎児様御手取り様のこと。
 (この章は、さまざまな気持ちを、お稚児さまの手の握り方によって伝える、そういうサインを解説したものらしい…)


一、児の人指より小指まで四つ取るは、数ならねどもそなたのことのみ明け暮れ案じくらすという心なり。

* ほう、ちごの人差し指から小指までの四本の指を握るのは、「さえない男ですが、あなたのことを一日中考えて暮らしています」という気持ちを伝えるサインなのね。


一、その時、児二歳(=ちご)の、大指を一つ残してみな取るは、数ならぬ私への御執心恥ずかしく存じ奉り、御志のほど承らんという心なり。

* 今度はちごから。四つの指を握られたとき、相手の親指以外の指を握り返すのは(となりの人とやってみよう!)、「こんな私へ御執心とは、恥ずかしく思われますが、あなたのお心をお受けいたします」というサインだそうです。へ〜。


一、児の人指、中指二つ取るは、お話申し上げたしという心なり。

* ちごの人差し指と中指の二本を握るのは、「お話があります」というサイン。


一、その時、児扇の上に○(不明な字)を返し申すは、御話承らんという心なり。

* 不明な字があって解読が困難ですが、手を握られている状態で、扇を取り出してどうこうすることが可能なのか? なんか雲行きが怪しくなってきた……?


一、児二歳の人指を取るは今晩、中指取れば明晩、弁指取るは重ねて叶え申すべしという心なり。

* ちごの人差し指を握るのは、今晩、中指を取るのは明日の晩、弁指(順番からして薬指?)を取るのは二日連続で、叶え申しあげ……ヤりますってことですかな。


一、その時児二歳の中指、弁指二つ取るは、人目を忍び、御話幾度も叶え申すべしという心なり。

* その時、ちごが中指と薬指を握り返すのは、「人目を忍んでこっそりと、何回でもv」という返事のサイン


一、児の弁指、小指取るは、御話申し上げたきことあれどもあまりに人目多きゆえ、明晩も参るべしという心なり。

* ちごの薬指と小指を握るのは、「お話したいことがありますが、人目が多いので、明日の夜も来ます」というサイン。


支わり(=障り)があるときは、二歳(=ちご)の弁指を取るなり。

* なにか邪魔があるときは、ちごの薬指を握る。


一、児の人指、小指二つ取るは、明日の晩も参るべしという心なり。

* ちごの人差し指と小指を握るのは(握りにくいぞ)、「明日の夜も来ます」というサイン。


一、児二歳の袂(たもと)をひくは、必ず御話に御出でなされという心なり。

* ちごの袂を引くのは、「必ず"お話"に来てください」というサイン。おお、ちょっと強気だぞ。





 とりあえず、この章はおしまいです。
 青文字は、『南方熊楠全集』に引用された文章のママ(漢字などは読みやすいものに変えたところはあります)ですが、解釈は管理人の勝手なものですので、誤りの御指摘や御意見がありましたら、お願いします。
 「児の人指取るは…」なんて、所有格なのか主格なのか迷うところでもありますし……。


 さて、管理人解釈のままで話を進めますと、まず、こんなサインが実際に使われたのか、という疑問が浮かびます。まあ、弘法大師さまが提唱なさっているだけなのでしょうが、それを極意とは、ちと言いがたい。
 なんだか、騙されているよーな気もいたしますが、手を握って気持ちを伝える…なんて、なんだかイイじゃないですか。
度々申しておりますが、わたしゃ、「手を握る、つなぐ」という行為に非常にエロチシズムを感じるのでありますよ!

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