梅色夜話



 ◎第二十

 桂海律師は、あわてて、
 「これをご覧下さい。御歌が心許無いように思われますので、何事も道すがらお話ください。まずは、急いで行きましょう。」
と、坂本から桂寿を前に立てて、取る物も取り敢えず、石山へ急ぎ向かった。

 大津を過ぎゆくころに、旅人と大勢すれ違った。彼らが
 「ああ、哀しいことだ。この稚児は、どんな恨みがあって身をお投げになったのだろう。両親や師匠もどれほど嘆かれることか。」
と言うのを、あやしく思ってくわしく尋ねると、旅人は立ち止まって、
 「ただいま、勢多(せた:大津の地名)の橋をわたっておりますところに、お年は十六,七ほどかと思われます稚児が、紅梅の小袖に水干の袴だけをお召しになっていましたが、西に向かって念仏を十返ほど唱えて、身をお投げになってしまわれたのです。
 あまりにかなしく思われましたので、私たちはすぐに、水に入ってお体を取り上げ申し上げようといたしましたが、とうとうお姿がお見えにならなかったので、力なくまかり過ぎてしまいました。」
と語って、涙をはらはらとこぼすのだった。


◎第二一

 旅人の語りを聞けば、歳の程・衣装の様子に疑うところがない。律師も桂寿も、途方にくれ、足も手も力がぬけて倒れてしまうような心地がしたが、輿を早めて橋のたもとまで行ってみると、若公がいつも御身を離さずかけていらっしゃった金襴の細緒のお守りが、碧瑠璃の小念珠(数珠)をそえて、橋の柱に懸けられていた。
 これを見て、律師も桂寿も、同じ川の流れに身を沈めようと悶え焦がれるのを、同宿の僧たちは大勢集まって、取り留めた。

 せめて若公の亡きお顔だけでも一目拝見してから、どうにでもなろう、と思い、桂海がつなぎ捨ててある海士(あま)の小船に乗って、淵の底を臨めば、同宿の僧や中間たちは、みな裸になって、石の狭間、岸の陰を残る所なく探した。
 けれども、まったくお姿がお見えにならないので、天に仰ぎ、地に伏して、泣き叫ぶことは一通りではない。

 遙に時は移り、供御(ぐご)の瀬というところ(勢多川の下流)まで、求めて下っていくと、せき止られた紅葉の葉の、紅の深い色かと見えて、岩の陰に流れかかっている物がある。それを舟をさし寄せて見てみれば、あるもむなしき顔ばせであって、長い髪は流れて藻に乱れかかり、岩を越す波に揺られている。
 そのお体を泣く泣く取り上げて、律師は御顔を膝に抱きかかえ、桂寿は御足を懐の中に抱いて、
 「なんと情けないお姿か。我らにどうなれとお思いになって、このような事をなさったのか。梵天、帝釈、天神、地祇、ただ我らが命を召されて今一目生前のお姿をお見せ下さい。」
 
 声も惜しまず泣き悲しんでも、落花は枝を辞して二度と咲くことはなく、残月は西に傾いてまた中空に帰ることはない。濡れて色濃き紅梅の衣のしおしおとした、雪のような胸のあたりは冷え果てている。乱れて残る黛(まゆずみ)の色、こぼれかかる緑の髪、美しい御顔は変わらないのに、一度笑めば百の媚を生じた眼(まなこ)はふさがり、色は変じてしまった。
 律師も桂寿も、足許や枕元に平伏して命も絶え入るばかりに泣きしずみ、同宿・下法師たちにいたるまで、苔に伏しまろび、少しも泣き声がやむ時はなかった。


 その日一日は、もしや生き返ることもあるかと、肌に胸を当てて温めたけれども、ついに願いは叶わなかった。
 次の日、近くの山の鳥渡野にて、若公を一片の煙と成しもうしあげた。同宿・中間たちは、煙が尽きて次第に帰っていったけれども、律師と桂寿は帰らなかった。

 一堆(たい:かたまり)の灰に向かって、三日間泣き続けて、若公と同じ苔に埋もれたいとも思うのだが、今わの際にお送りになった御歌に、「底まで照らせ山の端の月」とあったのは、亡くなった跡を弔ってくれよとの意味であったのだと思い、律師は山へも帰らず、ここですぐさま、濃い墨染めに身を変え、その遺骨を首にかけて、山川を頭陀(ずだ:道々食を乞いながら修行すること)していたが、後には西山の岩倉というところに庵室を結んで、彼の後世菩提を弔った。
 桂寿もすぐに髪を下ろし、高野山に閉じこもってついに山中を出ることはなかった。





 恐れていたことが起こってしまいました。梅若公の入水。
 慰める人もなく、相談すべき父や師匠の門主も行方不明。あの大惨事を引き起こしたのは自分のせいなのだと思い込んだまま、若公は死してその責任を取るという選択をしてしまったのでした。

 なんとも悲しく、心苦しく、もっと言えば、なぜこんな結末にするんだと、怒りさえ覚える展開ですが、それを素直に言えないほど、若公の亡骸の描写が美しいのです。岩の狭間で、長い髪をゆらめかせて留まっている、それはまるで紅葉のように……。ここの場面、昔美術の教科書で見た、『オフィーリア』(ミレイ作「ハムレット」の一場面。)という絵を思い出しました。さらに、引き上げられたお体の、言いようのない色っぽさ! 濡れた身体、乱れた髪……、美しい顔は固く目を閉じて、まるで人形のようです。……ワタクシ、変態ですか!?

 そうして、若公を失った桂海律師と桂寿の嘆きようは、とてつもないです。跡を追おうという気持ちも分かりますね。それでも、若公の遺言の歌の意味を解して菩提を弔うことにする(こういう伏線の張り方が、この時代の物語にしては巧いと思います)。
 桂海さんって、なんとなく若公の色香に迷って好きになっていただけのような気がしていたのですが、こうやって若公の遺骨を肌身離さずにいてくれたのは、うれしいですね。
 この物語は、桂海律師と梅若公の恋物語ということになっていますが、若公の童・桂寿くんも、実はかなりの若公LOVEのような気がします。いままでずっと一緒にいて、お世話して……。世間知らずな若公を、(たぶん桂寿は年下なんだろうけど)弟みたいに可愛く思ってお仕えしていたんだろうなぁ(妄想)。
 一番若公を愛していたのは、やはり桂寿くんだと思います。だからこそ、自分の明るい未来よりも、山にこもって菩提を弔うことを選んだのでしょう。ああ、不謹慎だけど、超萌。
 
 
 さて、次はエピローグ。この気持ちをすっきりさせてくれるオチがあるのか!? どうなっても責任は取れませんが、何某先生、よろしくお願いしますよ!

第二二・二三・二四