梅色夜話



◎『根南志具佐』(ニ)

 具生神が坊主の減刑を伺うと、閻魔王は以ての外とお怒りになり、
 「いやいや、あの者の罪は、軽いように見えるがそうではない。だいたい、娑婆に男色というもののあること自体、俺には全く合点がいかない。
 夫婦の道は陰と陽で自然であるから、もっともなことであるが、同じ男を犯すことは、決してあるべきでない。

 唐土にも、はるか昔から男色というものが存在して、書経(儒教の聖典五経の一)には、『頑童(がんどう:受少年)を近づく事なかれ』と戒め、周の穆王が慈童を愛したために、菊座という名が始まり、彌子暇・董賢・孟東野の類……、
 また日本では、弘法大師が流沙川(中国白河の支流)の川上で、文殊菩薩と契りをこめてから、文殊は支利菩薩の号をとり、弘法は若衆の祖師と汚名を残し、熊谷直実は、無官の太夫敦盛を須磨の浦で引っこかし(こかして弄したという意味だそうです)、牛若は天狗に締められ(おかされという意味だそうです)、真雅僧正の業平、後醍醐帝の阿若(くまわか)、信長の蘭丸、其の名も高い高尾神護寺の文覚は、六代御前(平維盛の長子)にうつつをぬかし、いらぬ謀反を進めて頼朝の咎めを受けたために、娑婆では『尻が来る(悪事・事件の責を負う)』という言葉が生まれたという。
 
 但馬の城之崎、箱根の底倉へ、湯治する者の多いのも、みな男色のある故である。昔は坊主ばかりがもてあそんでいたから、『痔』という字はやまいだれに寺、と書くのだ。
 しかし、近年は僧俗おしなべてこれを好むこと、甚だ以って不埒の至り。今より娑婆世界にては、男色を止めるように、厳しく申しわたせ」
と勅命なさった。

 みな「はっ」と仰せを申し受けたが、十王のなかから、転輪王が進み出て申し上げた。
 「勅定を返し奉るのは、恐れ多いことでございますが、思うことを言わないままなのも腹のふくれることでございます。
 仰せの通り、男色もまた、害のないものではございません。しかしですが、その害は女色に比べればいたって軽いもので、まったく異なるものです。

 たとえば、女色はその甘きこと蜜のごとく、男色は淡きこと水のごとし、です。無味の味は佳境に入るまではわからないものです。
 これは結局、大王が若衆嫌いでいらっしゃるゆえに、上戸(じょうご)が餅屋をやめさせたい、というようなものです。

 そのうえ、娑婆の評判をそれとなく聞く所によると、菊之丞の絶色(すぐれてよい容姿)は隠れないことでございますから、せめてこの世の思い出に、絵姿でもぜひに見たいものです。どうかお許しくださいませ。」

 閻魔王は、不機嫌になりながら、
 「蓼食う虫も好き好きとは、其の方のことだな。そういっても、たっての願いも出しがたいものだ。絵図を見たければ勝手に見るがよい。だが、俺は若衆をみるのは嫌だから、絵の開かれている間は目を閉じている。さあ、早くしろ。」
と、目をお閉じになった。
 
 そこでかの罪人が持っていた姿絵を、柱にかけて見れば

『清如春柳含初月 (清きことは春柳の初月を含むがごとく)
 艶似桃花帯曉煙 (艶なることは桃花の曉煙を帯ぶるに似たり)』

 その姿の優雅なことは、なんとも言い表すことも出来ず、人々(地獄なのに)は目も離さず、はっと感嘆の声を発したまま、しばらくは鳴り止まなかった。


 
 今回の冒頭は、唐土と日本の、代表的なカップリングがイロイロとでてきました(先生の妄想、もとい創作も一部あるかと思いますが)。少し補注しましょう。慈童、彌子暇、董賢は中国の王の寵童です。

☆慈童(じどう)→「菊慈童」とか「枕慈童」という題で能や歌舞伎になっています。
☆彌子暇(びしか)→史記の「逆鱗」という話にでてきます。この全文が、高校の時の漢文の教科書に載っていたのには驚いたよ。しかも授業で扱うし!
☆董賢(とうけん)→この子の話が、某国では子猫の話として伝わっているそうな。
☆弘法大師→いわずと知れた、本朝男色の祖といわれるお方。でも、受けだったんだ!
 「弘法筆の誤り」というより「弘法筆を選ばず」というところか。(←暑さで思考回路がオカシイです)
 あとは、わりと有名な話かと思われます。

 さて、本題。閻魔大王、かわいいぞ! ヤだから目つむってる〜なんて、子どもか!
 転輪王も、地獄の王に向かってよくぞ自分の願望を言えたなぁ。閻魔王を諌めたあの言葉もかなりの名言だと思います。
 自分の意に反する部下の願いを聞き入れてくれる閻魔王も、良い上司です。てか、ちゃっかりみんなして菊之丞の絵姿見てるし! 転輪王以外は許されてないじゃん、ずるいぞ。
 そして、菊之丞の姿の描写に注目! なんだかよく分かんないけど、すごい美人だってことはわかります。このあとにも彼の容姿の描写が出てくるので、ご期待下さい。

其の三