梅色夜話



◎『根南志具佐』(四)

 さすがの十王たちも手立てが尽き、この上は修羅道に落ちた軍師どもの知恵でも借りようか、と言う所に、末座から出てきたのは、人間の一生を見届けて、帳に書き記す横目役(監視役)の"見る目"という者であった。
 "見る目"は閻魔王の前に進み出て、
 「方々の御評議はごもっともではございますが、これしきのことに修羅道へ人を遣わし、軍師どもを召されるのは、この界の恥辱とも申されましょう。その上、かれらの智謀計略で再び太平の地獄界が乱世となるやもしれません。
 それより、私は人間の肩にいて、善悪をただすのが役目ですから、人々の思うことさえも明白に知っています。
 菊之丞をはじめとして、そのほかの役者どもに、舟遊びに出る兆しがあることは、かねてから知っております。この隙に乗じてお謀りなされば、御手に入らないなどということは無いでしょう。」
と、申し上げた。

 閻魔王はそれを聞くなりお悦びになり、
 「それは好都合だ。水辺のことであるから、いそぎ水府(水神のいる所、竜宮城)へ使いを立てて、龍王を呼び寄せよ!!」
 「畏まりました」
 そういって、数多の鬼のなかから、足疾鬼といって、一瞬のうちに千里を行き千里を戻る、地獄の三度飛脚が水府へ行くと、かれこれする間もなく、「八大龍王の惣頭・難陀龍王、参内!!」という声がした。

 衣冠正しいその装いは、頭に金色の龍を頂き、瑪瑙の冠、瑠璃のえい(冠の付属物。漢字変換できない;)、珊瑚琥珀の石帯、水晶のしゃく、玳瑁(たいまい:ウミガメの一種)の沓、異形異類の鱗(うろくず:魚類)どもが前後を囲んで、難陀龍王が参内した。
 
 龍王らが御階(はし:庭から屋内への階段)の元にひれ伏すと、閻魔王ははるかにご覧になり、
 「珍しや龍王。只今そなたを召したのは、この大王小恥ずかしくも、心を砕く恋人がいる。それが、南せん部州・日本の地の、瀬川菊之丞という美少年である。
 これを我が手に入れんため、様々に評議したすえ、かの菊之丞、近日舟遊びに出るとの事ゆえ、水中はそなたの領分であるから、急ぎ召し取ってつれて来い」
と、仰るので、龍王は恐れいり、
 「勅定の趣、委細畏れ入り奉りました。
 わたくしの支配下の者どもは、鰐(わに)・鱶(ふか:サメのこと)をはじめとして、川太郎(河童)・川獺(かわうそ)・海坊主など、人を取ることには長けておりますから(イヤな部下だなぁ;)、この者どもに申し付け、すぐに召し取り差し上げて、大王さまのご心配をお安めいたしましょう」
と、事も無げに勅答した。

 これを聞いた閻魔王は甚だお悦びになり、
 「それならば、菊之丞がくるまでは、奥の殿に引き籠って、天人どもに三味でも弾かせて気を紛らわそう。
 この間にも罪人どもがやってくるだろうが、大抵罪の軽いものは追い返し、重い奴はまず、六道の辻の牢へ打ち込んでおけ。
 また、最前の坊主めは、菊之丞に身を堕落したこと、はじめは憎いと思ったが、俺の心に比べれば、若い者に有りがちなことであるから、再び娑婆へ返すがよい。
 しかし、今後菊之丞を買うことは法度にいたす。弁蔵・松助・菊次(女形や若衆形の役者)などをはじめとして、湯島・神明(陰間茶屋のあるところ)にいたるまで、菊之丞以外の者を買うのは許可しよう」
と勅定あって、御簾がさっとおりたので、龍王は水府へ帰り、皆々は退出した。


 さて今の世に、役者という者は大勢いるが、名人と呼ばれる人は稀になってしまった。
 しかしそんな中にも、「蓮葉の濁りに染まぬ」玉のように美しい、瀬川菊之丞という若女形がいる。
 彼は初代・菊之丞の実子ではなく、田舎から見つけてきた養子なのだが、幼いときから、並みの子ではない、ともてはやされ、今では江戸・大阪・京でも「この歳でこの芸をするものはいない」と専ら評判の、末頼もしい若者であった。

 頃は水無月の十日あまり、とりわけて今年はいつもより暑く、人々はこれを避けることばかり考えている。
 菊之丞も、我が家で暑さに苦しんでいたところに、同じ若女形の荻野八重桐がやって来た。同座の勤めでもあり、同じ紫帽子をつける女形どうしで、しかも「ゆかり」のある仲だから、なんの遠慮も無く、夏かたびらを脱いで暑さの噂話をはじめた。

 八重桐は、
 「今年はほんとに暑さが強いから、隅田川の涼み舟もこれまでにないくらい賑わっているよ。ちょうどこの節は芝居も休みだから、一日舟遊びに出かけようよ」
といった。菊之丞は、
 「私も前からそうしたいと思っていたけど、忙しくていけなかったから。うん、一日出かけて遊ぼう」
 「それなら誰か連れを誘おう。」
 「だけど、あまり大勢でいくのも、騒々しいから……」

 それから二人は、来る十五日と日を定めて、鎌倉平九郎(敵役の俳優)・中村与三八(女形)へ使いを出して言い伝えたところ、良い返事がきた。それでは十五日の早朝から、と決め、舟のことなどをこまごまと約束して、八重桐は我が家へ帰っていった。



 またまた、閻魔さまのワガママっぷりが炸裂です!
 龍王のなかでも一番えらい人を連れてきて、やる事がたった一人の美少年を捕まえてくることだなんて……(笑) しかも、菊之丞が来るまで、仕事放棄ですかいッ!?(お○ゃる丸の閻魔さまよりタチ悪いぞ☆)
 例の坊さんは生き返るし;(それにしても、龍王の登場シーンが脳内でますます魔夜峰央ワールドなんですが……)

 さて、件の菊之丞さまの登場です。彼はどうやらすごい役者のようですね。
 八重桐さんとの「ゆかり」のことですが、注によると「関係もある中」とあります。あらvそうなの?
 この二人は両方とも、初代・菊之丞の養子だそうで、つまり兄弟として、先輩後輩として、イロイロとあったんでしょう(妄想…v)
 この二人の関係が、物語前編の最後に彩りを添えることになりますので(特に八重桐の菊之丞に対する想いが〜ッ!!)、斯うご期待。

其の五