梅色夜話



◎『根南志具佐』(六)

 十五日……。隅田川は、川中も川岸も、夕涼みを楽しむ人々や商人・大道芸人たちでたいへんな賑わいである。
 
 菊之丞たち四人は、用意した舟に乗り込んだが、みな役者であるから芸はもちろん珍しくもなく、にぎやかにするのも又うるさいので、静かに酒を酌み交わしていた。
 一同はあそこへここへ、と漕ぎ回っていたが、「騒がしい所を離れて遊ぼう」と舟を三叉(みつまた)というところへ漕ぎ寄せて、四方の景色を見渡せば、南は蒼海漫々として空と海との色がはっきりと判らない。
 西には箱根大山はかすかに、富士の山はくっきりと見え、近くには武蔵野に広がる人家、道ゆく人はただ蟻などが行き交うようにしか見えず、さながら仙境に入ったかのような心地がする。
 しばらくは、静かに歌を詠い、香を燻(くゆ)らせて楽しんでいたが、さて中州のあたりへ行って蜆でもとろう、と皆は小舟に乗り移った。菊之丞は
 「私は考えかけた発句(俳句)があるから、後から行くよ」
と言って、一人舟に残った。

 頃は水無月の中の五日。陽は西に傾き、月は東に射し出でて、水面には小波(さざなみ)が立って涼しく、この頃の暑さも忘れるような、別世界に来たような思いがする。
 菊之丞は硯を取り寄せてこう書いた。
 
 『浪の日を染め直したり夏の月 (夕陽で金色に染まっていた波が月が出て銀色に変じた情景。視覚からの涼)』

 そう書いて、黄昏の気色をうまく表現できたかな、と独り笑みを浮かべて吟じ返していると、どこからともなく、

 『雲の峯から鐘も入相 (聴覚の涼しさ)』

と、かすかに聞こえてくる。

 菊之丞は不思議に思って「一体誰がこんなすばらしい脇句をつけるのだろう」とあたりを見回すと、一艘の小舟に舵取りもなく、若い侍がただ一人、笠を深々とかぶり、釣竿をさしのべて釣りに余念が無いようだった。

 「それでは、さっきの脇句はこの人が」と思うと、彼の心ばえが奥ゆかしく、船端からつくづくと眺めていると、彼も振り向きこちらを見上げた。

 その顔をよくみれば、年は二十四・五ばかり、色は白く清らかで、路考(菊之丞)を見てにっと微笑んだ。その面差しに、包みかねた恋心が顕れいる。
 胸には思いが増し、真正面から菊之丞の顔を見ることができずに水に映った面影をしばらく見とれているその風情。菊之丞も情のない岩木ではないから、自分を思ってくれる人を捨て置きがたく、しばらくじっと見つめていた。

 たがいに言い出す言葉もなかった。しかしちょうどその時、風がそよと吹いた。男は振り見上げて

 『身は風とならばや君が夏衣 (私は風となってあなたの衣のなかへ入りたい)』

と吟じたので、菊之丞はとりあえず

 『しばし扇の骨を垣間見 (私も扇の手を止めて扇の骨の隙間から貴方を垣間見のようにのぞき見ました)』

 それから少し気持ちが打ち解けて、男は舟をさし寄せて菊之丞の舟につなぎ、乗り込んだ。そうして「日が暮れてからはずいぶんと涼しくなりましたね」などと、世間並みのことを言ってまぎらわしているので、菊之丞は手づから銚子・盃などを持ってきて、
 「さきほど私のふつつかな口ずさみにかたじけなく立派な脇句をいただいてから、あなたが普通の人とは思えません。『一樹の陰一河の流れも他生の縁(偶然の出会いも前世からの縁によるという諺)』と聞きます。
 何処の国のお方ですか? お名前が知りたいです。」
と尋ねると、
 「私は浜町あたりに住んでいる者です。夏の間は暑さを避けるため供も連れず、独りで小舟に棹をさし、この風景を楽しみにしていました。
 しかし今日は思いがけなく、あなたの姿を一目見てしまったため、思いは晴れず、雲のようにゆらゆらと釣舟を波に漂わせておりました。
 この上は一夜の情をもって深い心を明かし合わずには、この世での願が満ち足りません。」
 そう言って、菊之丞の手を取って寄り添った。

 菊之丞はさすがにこの上もない粋(すい)であるのに、向かいあってからは思うことが深くなって、「私もこの人でなくては」と思う心が恥ずかしく、言葉はなくて銚子を取りつつ盃をさし寄せると、男は酒を受けてつつと飲み干し、今度は菊之丞に注す。
 呑んでは注し、注しては呑み、合(間)も押さえ(盃を受けないこと)も二人であるから、盃も数々めぐりあった。


 『巡り逢うことも、結ぶ神の引き合わせ、夜もはや五ツむつごと(六ツ:睦言)の、雲となり龍とならんと、月夜烏を心の誓紙(せいし)、互いのちぎり浅からず、

 こけるともなく寝るともなく、互いの帯の打ち解けし、二つ枕のさざめ言、いかなる夢を見しかいざしらず。』



 ……。というわけで、二人は結ばれたのでしたv
 最後の文は原文そのままです。未熟者には上手く訳せません!!
 この回、急に古文調になって、掛詞とか縁語とかがわんさか出てきて、訳がめろめろになってしまいました; 意訳すると趣がなくなっちゃうしなぁ(そんな技量もない);

 さて、愚痴っていては余韻を壊しますので、本題。
 菊之丞と美青年武士との出会い→→心を通わせるふたり→→vvv…って展開早ッ!!
 一目惚れなのはいいとして、いきなり最終段階までいってしまうんですね;(おそらく数十分のことだろう)ワタクシだったらその前に一回出逢っていて……てな話を入れてみたいところですが。
 でも、(この美青年武士の正体がわかる方だけ反転で)かたや若衆キラーの河童、かたや情を解し色を売るのが仕事の女形。色事に通じた二人が出会ったんだから展開速くても頷けるか

 『身は風と…』の歌も印象的なポイントですね。
 いきなり「あなたの服の中に入りたい」って言われてたら、菊之丞も引いたと思うんですが、和歌にすると、欲望まるだしのセリフもさわやかな愛の言葉に変身です。和歌って偉大なコミュニケーション手段だなぁ。(←余韻ぶち壊し)

 しかし、読んでいる最中はそんなツッコミはどうでもいいくらい、話に引き込まれてしまいました。
 仙界のような、別世界のような情景。ふたりの出逢い方ももう素晴らしすぎッ!!
 そして舟の中での語らい。美青年武士のセリフの意としては、「ヤらせてください!」なんですが、そう言いながら「路考が手を取りよりそへば」ですよ。
 激しさとやさしさを兼ね備えた攻撃には、さすがの菊之丞も赤面!?
 「出会ったばかりなのに、なぜかこんなにも惹かれている……。私はなんて、はしたないのだろう」という感じの心情でしょうか。

 展開早い中にも、菊之丞が若武士に惚れていく様子がしっかり書かれていて、ニクいです、源内さん。恥ずかしがる菊之丞、なんて可愛いんだvv

其の七