梅色夜話



◎『根南志具佐』(七)

 この浮世で、今評判随一の路考(菊之丞)のことを、望まない人などいるのだろうか。皆「よい器量だ」と言って、菊之丞の紋である結綿の紋を見るだけで、心が動いてしまう者も多い。
 それでも、いままで誰一人として菊之丞を手に入れる者はなかった。
 それなのにどういうわけか、この男が、俄かの出会いでこのように手に入れたのは、誠にこの道の氏神、至極の達人とも言うべきだろう。(前回のコトについて、セルフツッコミ入りました!)

 ほどなくふたりは起き上がって、なぜか分からないが(思わせぶり〜)、手などを洗う様子は、はなはだ心憎い。またもとの場所に座りなおして、酒を酌み交わす姿は、なんとなくはじめよりも、一段と打ち解けて見える。
 月もようやく差し昇り、舟の中は昼のように明るい。川風がそよと吹きわたり、夏が去り秋が来たかのように感じて、なんとも興のある様である。

 しかし、男は菊之丞の顔をつくづくと見つめて、はじめは物悲しげな様子だったが、しだいに耐えきれない思いが顔に表れて、涙をはらはらと流した。
 それで、菊之丞は男にすり寄って、
 「どうしてそのように、物思いの様子でいらっしゃるのですか?」
と熱心に尋ねた。しかし男は、さらにうつむいて、とりあえずの言葉もなく、涙のほかには返事もない。

 菊之丞もこのままでは心が落ち着かないから、
 「もしかして、私の心意気に、御心に染まないところがあるのでしょうか。このように打ち解けたのに、どうして隠し事をなさるのですか」
と、憾(うら)んだ顔つきをするので、男は涙を押しぬぐい、
 「それほどに深い貴方の心ざしをあだにして、黙っているのもつらいものです。こんなに厚い情の其の上に、『妾(わらわ)が心の気に染まぬか』との一言は、胸にこたえました。
 ですから子細を明かしましょう。必ず必ず、驚かないでください。
 私は実は、人間ではございません。荒波をくぐり、水底を住処と定める、水虎(かっぱ)というものでございます」

 そう聞くより菊之丞はあっけにとられてしまったが、どういう訳があるのだろう、と心を沈めて聞いていた。しかし、思わずぞっと寒気立ち、気味悪く感じてしまった。
 その気持ちをようやく胸に押し沈め、心の中で魔除けの呪文をとなえて、それでもまだ、子細を聞こうとしている。男は顔の涙を押しぬぐって、
 「私がこのように、人間の姿となって来た訳をお話しましょう。
 実は故あって、閻魔大王があなたを深く恋い慕い、どうにか冥途へ連れて来い、と我等が領主・難陀龍王へ勅定がくだり、竜宮で色々と評議があったところに、この命にかけて申し上げ、ようやくこの役目を承り、どうにかあなたを連れて行こうと、忠義一筋で謀(はかりごと)をしました。
 乗り捨てられた舟を盗み、このような侍の姿に変じ、神変(不思議な力)で俳諧を吟じて近寄り、あなたを引っ立てて水中へ飛び込もうと、かねてから考えていたのですが、思わずも、あなたの器量に心迷い、無理な恋をいい掛けたところ、あなたの情も深く、睦言の中にまたの逢瀬を約束してしまいました。
 その上は昨日まで企んでいたことも今日は変わって、あなたのために我が命を捨てる覚悟でございます。

 これから私は、竜宮へ帰りますが、菊之丞を取り得ること力及ばず、と申し上げれば龍王から罰せられることは決まっています。
 私はその上、大勢の鱗(うろずく)どもの並み居る中で、大きな口をききましたから、面目を永らえることもできません。山林に身を投げて、死ぬ覚悟です。
 あなたを助けて、それ故に死ぬのは本望ですが、死してたちまち正体をあらわして、あさましい姿になってしまえば、きっと愛想も尽きてしまうでしょう。

 そしてまた、世の人は、死んであの世で、などと約束しますが、あなたは閻魔王の寵をうけ、しかし私はあっけなく畜生道に落ちていきますから、相見ることもかないません。
 縁のない運命と思うほど、胸に詰まる思いは晴れませんが、どうかどうか、死んだ後に、あなたの口から一遍の回向でもしてください。そうしてくだされば、未来の苦患(くげん)も逃れられるでしょう。
 たとえ私が死んでも、竜宮には様々の手だれがいますから、よく注意して水辺へ出てはいけませんよ」
と、事細かに語り、また涙にむせび入った。

 菊之丞も袂を濡らしていた。
 「あなたの身の上の物語を、初めて聞いて驚きました。
 しかし動植物が姿を変え、契りを結ぶと言うのは、例のないことではございません。どうして悪いことがありましょうか。
 すこしでも、枕を交わしたその人を、自分の身代わりに死なせてしまっては、私の情の道に背きます。そのうえ、閻魔王が私を慕いなさっていると聞いては、もはや逃れられない運命でございます。
 是非是非私を連れて行って、あなたはお命を全うしてください」
と言いつつ、立ち上がって、船端から飛び込もうとする所を、男は抱きとめた。
 
 「お志は嬉しいですが、いまあなたを殺しては、やはり卑しい畜生ゆえ情けを仇で返した、と世間の噂になり、そうなっては、私ばかりではなく、一族の恥辱となります。
 そのうえ、あなたのお美しいお顔を水底の藻屑になしてしまうのは見るにしのびないことです。どうか早まってはいけません。私さえ死ねば事は収まるのです!」
 「いいえ、あなたを殺しては私の情の道が!」
 たがいに命を捨てようと、死を争っているところに、
 「ふたりとも、お待ちなさい」
と声をかけ、現れたのは荻野八重桐だった。


 
 なんと美貌の若侍の正体は河童だったのです!!って、分かりきってたことですが;
 でも、菊之丞はなんの前フリもなくこの事実を聞かされたのに、多少驚いて気味悪がっただけで、最後まで話を聞こうとする。ホントに心底惚れたんだね。
 菊之丞の一人称はいままで「我(われ)」だったのですが(あんまり出てこないけど)、このシーンでは「わらは」に変わっています。あ、甘えてるのか!?
 しゃべり方や動作からも、天人のような、ちょっと乙女な香りが漂ってくる感じ。菊之丞さん、可愛すぎ…v

 さて、互いに思い合うようになったふたりですが、どちらかが命を落とさなくてはいけない事態に陥ってしまいました。
 このまま手に手を取って逃げるという選択肢はないのです(なぜか、それは河童さんが忠義の武士だからさ)。お互いに相手の命を救いあおうとするふたり。
 そこにあらわれた八重桐にぃさん(ねぇさん?)の目的は!?

其の八